初夏アラモード

初夏アラモード


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本日の1曲/五嶋みどり 「愛の挨拶 op.12」(エルガー)


はつなつの風の帆となり思案せず



はつなつの風へ追憶逃がしをり


私の中で、俳句に二通りあって、ひとつは自分の実感をそのままに近い形で残しておきたいと思うものと、もうひとつは、言葉の方で、言葉同士が組み立ててくれて、私の感じたものを、置き換えてもらう方法。
言葉の力に任せるパーセンテージが多い、と言ったらよいか。

「はつなつ」と言えば、どうしても今の私にとっては「風」が必須項目となる。
だが俳句の言葉の世界での「はつなつ」と「風」の距離感は、どうしてもありがちで、陳腐な取り合わせになってしまいがちだ。

でも今回は、どうしても自分の実感をとどめておきたいので、「はつなつ」と「風」の取り合わせたものを、しかも二つ、詠みたいと思った。

若い頃は、「初夏」と言えば「光」だった。
5月というものは、光の箱だと思っていた。

この頃は、どうしたわけかやけに「風」に気持ちがいく。
春先の冷たい風が一段落して、生温かな、どんな小さな不快感もない風になってきて、初夏の風ともなれば、それは黙って聞いていたい音楽ほどに、身心に心地よいものになってくる。

外を歩いていても、家の中の窓辺で座っていても、それは同じだ。

そしてその心地よい初夏の風の香りの中には、色々な記憶のかけらや、追憶の尻尾が混ざっていて、瞬時になにか遠い過去の断片が、水を得た水中花のように、生き生きと蘇ってくる時がある。

波が様々な漂着物を砂浜に寄せ来るように、風が私に記憶を打ち寄せる。

それは長いストーリーを持たない。断片的で、それなのに強靭だ。記憶の地層の深いところにあるのに、いざ立ち上って来ると昨日のことのように鮮明である。

こんな「はつなつ」の風の吹いている日に外へ出たら、黙って歩くしかない。家に帰ってきたら、黙って窓辺に座っているしかない。

誰かと口をきいたり、何か思案したり胸算用したりすると、全てがたちどころに消え失せてしまう。

まるで御伽噺の魔法が溶けるみたいにね。





新緑や若さの中にある空洞



薔薇咲ける家の主をついぞ見ず



薔薇咲いて我も細胞分裂す



彫像の深き沈黙薔薇溢れ





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木漏れ日に白き封書を訝しむ



木漏れ日やすべてあるべき場所にあり


木漏れ日というものは、理屈抜きに平和なものだと思う。
木漏れ日に包まれている時には、いつも満たされた気持ちだった。
過去形だ。

全てあるべき場所に、あるべきものがある、
そんな平和な気持ちの記憶、
でもあれはいったい、いつの事だったのだろう。

もしかしたら子供の頃。
もしかしたら思春期の頃。

そんなに素晴らしかったのだろうか。
子供の頃は。若い頃は。

いやいややはり子供は子供なりに、宿題はあるわ、嫌いな算数や体育はあるし、嫌な男の子はいたし、怖い先生もいたし、思春期にはすべてのものが馬鹿らしかったし、大人の社会に何の関心もなかったし、コンプレックスの塊でいつも自信が無かったし、不満の巣窟だったのだ。

ならばなぜあんなに平和な木漏れ日を見ていたのだろう。

私はいつも途上にいた。いつでもどこでも何処かへ行く途上にいた。
私はいつも何かしら欠けている存在だった。
いつでも階段の途中を歩いていた。
でもそのことに何の憤りもなかったのだ。
いつも等身大だった。

私はきっと、どんな自分とも平和だったのだ。


少し前に、本屋で立ち読みをしていて、田口久人という人の、「そのままでいい」という本を手に取った。
数ページをめくっているだけで、我にもなく自動的に涙腺がゆるんできたので、慌てて本を閉じて行ってしまおうとした。

その時、蝶々のように閉じかけている本の頁から、一行の言葉が飛び出してきた。

ある詩の最後の一文。(ちょっと違う表現だったかもしれないけど)


本当の自分は探してもどこにもいない
それは今のあなただから






モニターに葦簀の空が映りをり



ここにいていいのだろうか青嵐



青嵐夢で何かを言い放つ



この夜にいくつの孤独緑の夜



十薬に聞いて驚く秘密かな



十薬の静かな視線の中にいる



まだわれのかたちしている薄暑かな


春や初夏の気持ちの良い日には、自分の身体と外界が一体になっている。
柔らかな風。心地よい解放感。我と外界の境界線が曖昧になる。

でもハンカチをバッグからちょくちょく取り出すようになってくると、その幸福な一体感から抜け出して、なにかと自分の肉体を意識するようになってくる。
うっすらと汗ばむ体。薄暑の街と冷房の室内を出たり入ったりして、上着を着たり脱いだり、忙しい。
また自分の身体をありありと意識するようになってくる。

しかし、まだこの頃が華というものだ。

本格的な暑さになってしまうと、暑さはすでに、我のかたち、どころではなくなるのだ。






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薔薇

薔薇

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本日の1曲/Eliane Elias - My Cherie Amour



こころ今薔薇の一輪の重さかな



やはらかき薔薇やはらかき雨纏ふ



家々の鍵まだ開かず薔薇咲きぬ



薔薇咲かむ薔薇の数だけ夜明けかな



良いお妃悪いお妃薔薇咲きぬ



大抵の女性は、良いお妃が7人と悪いお妃が3人くらいだと、自分の事を考えている。

それが大体健康的な自己イメージというものだろう。
自分もまたしかり。

だが、過酷な居場所にいると、そんな生易しいイメージで周りは自分を考えてはくれない。

なにがどうしようと、真実は曲げて伝えられ、否定的なイメージが誇大に強調して歪んだ形で伝えられ、何かのはずみでそれがこちらに伝わってしまった時、驚きのあまり開いた口が塞がらないような、そんな過酷な環境で生活してきた。(笑)
ナイーブな良いお妃たちにはとても過酷な環境だ。

だが、あまりにもそんなことが続くと、だんだん「いい人」をやっていることが徹底的に馬鹿らしくなってくる。
「悪いお妃」になってしまった方が、もといなってしまったふりをした方が、よーっぽど楽ではないか。
そう、悪いお妃8人と、良いお妃2人くらいの比率。

「還暦」も近づいて来るし、今までにかつて無いような目標を立てるのも、一興である。

お気に入りのブックカフェに、先日持ち込んだ本のタイトル「いい人をやめれば楽になる」
どっかで聞いたようなタイトル。この手の本は、多いのだ。

30分ばかり、ふんふんと読んだ。
読んだ本の返却場所に返して、また新たな本を取りに行こうとしたら、私の置いたその本のすぐそばに、同じ本が無造作に置かれていた。
人気があるのだろう。

うーん、皆さん、あまりいいお妃をやりすぎると、疲労困憊してしまいますよ。





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スニーカー踵踏みたき初夏となり



姫女苑夕べひとりの影長く



振り向けば万緑振り向かずとも



万緑や不眠広がる樹のかたち


久しぶりに、不眠症になった。
夜中に何度も目覚める割には、その間、正体不明に寝ていられたのに、ここのところ、そのリズムがすっかり乱れてしまった。

深夜、朝4時頃まで、仕事や、仕事の無い時は仕事の仕込み。あとはブログ書く日もある。
仕込みというのは、自主制作で、ポートフォリオのための、云わば見本作品の制作というところか。

うちの親などは、そういうことを深夜していると、「お金にもならないのに」と言うけれど、日々絵を描いていない画家などいないし、日々踊りの鍛錬をしない舞踏家などいないし、技術、芸術というのはそういうもので、そういうものなしにデザイナーなんて言えない。(最も、売れっ子デザイナーだったら、そんなことしてる暇はないけど)

PC作業を終えるや、どっと布団に雪崩込み、そのままとっぷりと眠っていたのに、この頃そうはいかなくなった。

神経、体、ともに限界的に疲れて、あー今日もてんこ盛りの一日だった、と思いつつ、重たい自分をやっと布団まで連れて行き、「さー、寝るぞぉー!」と錨のように寝床に潜り込む。
その時は、後頭部がすでに眠気でどんよりと湿っている。
その眠気に呼応して、当然の如く眠りの大波が自分を連れてゆくのを待っているのに、「ん?」気が付くと何度も何度も、意識の浜辺にまた打ち返されて、ひとりさみしく覚醒の砂の上に残される。

いや、またつぎの眠気の大波が来れば、今度はすっかり連れてってもらえるさ。
などと思いきや、また同じことの繰り返し。

だんだん意識が、夜明けの水銀灯のように冴え冴えとしてきて、眠くて眠りそうな自分と、眠れなくなって焦っている自分との、両方の自分の少し上の方へ、「ぽ」っと、飛び出してしまうのだ。

眠気の大波が来る、あー、眠れそう、眠れそう、とか言ってるとまた浜辺にもどされる。その一部始終をちょっと高いところから監視するようになってしまったら、ああ、もういけない。

不眠のメリー・ゴーランドだ。

原因はわかっている。
この間、この調子で珍しく一晩中一睡もできなかったのだが、そういう日に、起こるのだ。持病の、心臓の頻拍発作が。
こいつは、ストレスが限界を越した時と、睡眠が足らない時のどちらかで起きて、起きたら150前後の頻脈がノン・ストップで続くので、救急へ行くしかない。
しかし先日は、様々な薬を点滴してもなかなか止まらず、4時間くらいの間、その脈のままだったのだ。

あの恐怖から、「寝なくちゃ」モードになって、この「○○しなくちゃ」というのが、諸悪の根源なのである。

だけど考えてみれば、胃だの腸だの、「もっと速く動いて」とか「止まってて」とか、コントロールしようったって、無理である。
それと同じに、寝ようとコントロールしたところで、寝られるわけではない。

じゃあ、そうやって腹をくくればいいだろうって、それができるくらいなら、もとから不眠症なんかならない。

自分の脳で起きる現象なのに、「眠り」というのは、「彼方」のものなのである。
内臓の動きも眠りも、自分の頭でコントロールすることはできない。
自然界の大きな力が人間にコントロールできないように、人間自身の中にも大自然のミニチュアのような部分があって、そういったものをいいように操縦はできないのだと、よくよく思い知らされる。

それで、だからどうする?
もう少し、ちゃらんぽらんに、なる。あるいは、自分というものに、一歩、遅れる。
私の場合、これが一番いいかなあ。
うまく言えないんだけど、自分の思いや感情は止めようと思ってもなかなか止まらないから、一歩遅れて、グズグズついていくような、うやむやな感じ。
あとは、首や肩に目一杯、インドメタシンの塗り薬を塗って、火照りまくる体に注意を向ける。意識から目をそらす。

そんな今日この頃。  さあ、寝る時間だ。  今日はどうかなー。

眠りのメリー・ゴーランド。






白菖蒲風が素足で走り去る



白菖蒲記憶明るく途切れをり



宅配の中身分からず若葉光



針の如一機飛び出す柿若葉



迷い無き視線と会いぬ柿若葉



虫歩く悲しき頁木下闇



やすらかに我の影解く木下闇






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立夏・夏立ちぬ

立夏・夏立ちぬ

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本日の1曲/We re all alone ・ Boz Scaggs


改札を風も抜けたり立夏かな



早瀬の如人は流れて立夏かな



夏来る立ち眩みにもある山頂



考えても仕方ないこと夏立ちぬ



人の眼に光溜まりて夏立ちぬ



それぞれに抜けてきた日々青嵐



久しぶりに昔の友人に会った。

自分も含めてそれぞれ様々な問題を抱えていたり、精神的にヘビーな仕事をしていたり、病気をしょい込んだり、なんていうか、あんまり身軽なものはいないというか。
でも随分長い間音信不通だったり、今だって皆忙しいから、そうそう頻繁に会ってなんかいられない。「仲間」なんていう分厚い関係でもないし、たまたま、ある時期を居合わせただけなんだけど。

それでもやっぱり、ジグソーパズルのように、時を越えてどこかのパーツを誰かが構成していて、いつの間にかそれは1枚の空のように繋がっている。
なんだかんだ言いつつ、あちらこちらでさざ波のように連動していて、遠くからの動きでも、揺れは小さくなりながらも、ゆらゆらと伝わって来る。

友人というのは不思議なものだ。

賢明な人間なんか一人もいないし、皆何かしら後悔の荷物をしっかりと持っていたりして、それなのに、沢山の言葉にできないことを、それとなく教えてくれる。

私達は赤の他人のやることから、あんまりしみじみ学んだりはしない。

友人というのは、近しいけれども、微妙な距離があって、自分とは結構考えも違っていて、そういう座標にいるからこそ、そうと知らないうちに色々なことを学んだり、影響し合ったりできるのかもしれない。

だから、人数は多くないし、時たましか会えないけど、いてよかったなあ。







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鉄線花秘めていたことあかるみに



万緑の臍の緒大地に繋がりぬ



水溜まり踏めば浅くて花茨



花茨少女の恋の多面体



花茨過去へと繋がりさうな路地



新緑を右へ左へ鳥の声



モノレールより新緑がブロッコリーほど


鷹羽狩行の「摩天楼より新緑がパセリほど」のもじりであるが、我が町のモノレールは、上から吊るタイプで、そう、ビルの4.5階くらいの高さだろうか。

大好きな大きな公園の上を、やや傾きながら行くとき、高所恐怖症の自分は、怖いような嬉しいような、微妙に際どい心理状態なのであるが、それを隠して連れの友人と喋っている。

もしこれが摩天楼から、パセリほどの新緑を見ていたとしたら、もういけない。
足がすくんで、上半身だけのような感覚になって、見ていられないだろう。

だが新緑が、パセリほどではなく、ブロッコリーほどの大きさに見える程度の高さならば、微妙な「はざま」で、薄汗をかきながらも、なんとか「わー、綺麗」とか言っていられるのである。

少なくとも、鳥の視線で、新緑真っ盛りの大きな公園を上から見下ろすことができるのだ。
こんなシュチエーションはめったにないのだから。

新緑は、ブロッコリーのように、膨張して、押し合いへし合いしている。
そして風が、見えない巨人のように、傍若無人に、その木々を踏み分けてゆく。

まさに、「聖五月」である。




彫像を風が洗いぬ聖五月



愁いより大きなひかり聖五月



葉桜や昼肯い夜を肯い



葉桜や硝子細工を陽が通る








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すみません。間違ってブログ書いてる途中でアップすることになってしまい、その記事タイトルを消すやり方が良く分からなかったので、ご迷惑おかけしました。
今月はこれから短納期の仕事が重なってしまい、更新が遅れぎみになるかもしれないですー。よろしくお願いします。



躑躅/若葉


躑躅


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本日の1曲/Bonnie Raitt - Storm Warning


躑躅咲く全ての記憶掻き消して



高層ビルに棲みつく風や躑躅咲く



噴水の飛沫届きぬ躑躅かな



躑躅咲く月夜に伸びてゆく睫毛



躑躅咲く恋の結末皆似たり




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若葉

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若葉楽し風に搔き乱されゐても



すみやかに地平線へ若葉反乱す



やすやすとひと裏切りて若葉かな



熟睡し五指も伸びむと若葉の夜



額の絵の硝子に若葉静かなり



若葉燃ゆ閉じていた目を開くとき


去年5月のブログで、若葉の事を書いた。
樹はいいなあ、齢を取っていっても、毎年つやつやの若葉が茂って、人間もこうだったらどんなにいいかって。
外で知り合いに会って、「あら、お久しぶり、今年はまたご立派で美しい若葉でございますこと」なーんて言ったりして、その頃になると、体の不調も一旦リセットされて、だったらいいななどと、アホなこと書いていたんだけれど。
先日それを読み返していて、こう思った。

せめて、今年は自分なりに若葉を作ったらどうなんだ。

例えば、加速度で新しい事をするのが億劫になってきている。

ちょっと油断していると、「面倒モード」が蔓延するのだが、どんな面倒って、「時間がかかって大変だから」とか、「手間がかかって大変だから」とかって感じの面倒よりも、「どうやるのか調べるのが面倒」とか、「違うやり方でやるのが、何となく抵抗がある」って感じの面倒の方が、圧倒的に多い。

特に自分でも「怖い」と思うのが、「違うやり方でやるのが、何となく抵抗がある」ってパターンだ。
これこそ齢を取ったことの、まごうことなき証明なのではないだろうか。
逆に言えば、こういう感じがあまりない人は、齢を取っていても、若々しいのだと思う。

「普段やっているやり方でしか何かをやりたくない」というのは、行動パターンが自動化されてしまっているということだ。変化がなければ、速く終わる。
この「速く終わる」というのも、そもそもの元凶なのだ。
現代人は忙しい。「何事も速く終わらせたい」。能率最優先だったら、物事のやり方を変化させることや、観察や柔軟な対応は二の次になる。
そして同じことばっかり、さっさとやっているうちに、あっという間に齢を取ってしまうのだ。

しかし物事を速く終わらせたら、満足な日々を送れるだろうか。
そうは思えない。自分の事なのだけれども、能率的にやったところで、あまり満足感はあるわけではない。

やっぱり、「新鮮な気持ち」になれないと、どんなに沢山の事がやれても、何か空虚なものがついてまわる。
満足は明日にある。そんな気持ちでいつも過ごして来た。今日はとっても忙しかったけど、きっと明日には、満足がやってくるだろう。
要するに、明日という時間に、貸しを作って、生きているのだ。

ところが果たしてそんなものはめったにやってこない。
能率を図る、そもそもそういう意識から、満足というものはやってこないのだ。

確かにこの年になると、新しい事は億劫だというのも、自然の成り行きなのかもしれない。
しかしそこを押して、無理やりちょっと自分の座標を動かしてみると、おおーっという感じで、何かが開ける。
いきなりまっさらに新しい事は大変なのだけれど、普段やっている家事や仕事の中で、「新しいやり方」を試してみると、却って、色んなことを見直せて、気分一新になる。

例えば何をしてるかって、笑われてしまうような小さなことかもしれない。
御大層なことは一切していないのだが、動画つきのレシピのアプリを使い始めて、新しいメニューに挑戦するのが全然億劫で無くなったとか、ひとつのネットスーパーを選ぼうと、躍起になって、プラマイを比較していたのだけれど、ふと思いついて二つのネットスーパーを交互に使うとか。

何か自分のまっしぐらな思い込みとか信仰みたいなものが、ぽきっと音を立てて折れたりして、新しい道が出来ていて、すっと行ってみたら、なんだ近道じゃない、みたいな。

仕事でいつも使っている画像加工のソフトはフォトショップだけれど、写真をちょっとした絵のようにすることに特化した外国のフリー・ソフトをダウンロートしてみたら、案外悪くなかったとか。
こうした若い人だったら、何のことは無い水を飲むくらい容易いことが、還暦寸前ともなると、どうにも腰が重いものなのだ。

この頃本来の仕事以外に、自分のポートフォリオ用の自主制作をしているのだけれど、先月まで俳句の句集のブックデザインを多数制作した。
特に「新しい時代の句集のデザイン」を意識したので、モダンなものが多くなり、それもいいけれど、何か違う、もう少し柔らかいものを、作ってみようと思い出して、ここのところ試行錯誤している。

また自分の仕事のホームページのレンタルサーバーも変えたついでに、中身も色々更新したこと。
テンプレートをカスタマイズして作ってみているが、これがまた言うことを聞いてくれないことが多い。
もともとコーティングは大嫌い、苦手だから、サルに玉ねぎ、って感じで頭から湯気が出る。

息子に教わり、そんなのできないー!と敬遠していた「開発者ツール」というものを使い始めてみて「ホ~!これは便利」と感動。
そして、サイトの中の、「完成度がやや低い」と思われる作品を、沢山切り捨てたこと。
この「切り捨てご免」というのが、性格的に中々できないタイプなのだ。

また主婦だから、家事のやり方そもそもを変えてみるのも大きく気分転換になる。

忙しさを言い訳に、洗濯物をいつまでも家のあちこちにぶら下げていた。
深夜4時頃まで仕事、昼11時頃起床、という生活では、昼ちょいすぎにやっと洗濯物を干すわけだから、なかなか乾ききらなかったりする。それをもう面倒なので、夕方家に取り込んで、その後、家のあちこちに吊るしっぱなし、そして翌日の昼頃また仕上げに天日干し、などと気の長いことをしてた。しかも一昨日の分も何気にもう一度日に当てたいとか、洗濯物はいつも2日分ベランダに干す有様。昨日の分と一昨日の分をベランダに仕上げ干ししている間に、今日の分を洗う。
大きめのピンチハンガー4つとその他の服。さぞかし大人数の家と思われているかもしれない。

ことほど左様に新陳代謝の悪い洗濯物をぶら下げてあるせいで、家の中はなにか薄暗く、穴倉のように陰気になっていたのに、全く気がつかなかった。それに考えてみると、大量の衣類の出し入れで馬鹿馬鹿しくエネルギーを消耗していたのだ。

長雨の時のために風呂場乾燥機を付け替えたのに、惰性で普段は使わなかった。電気代の事も少し頭にあったし。
ふと思いついて、今日の洗濯ものはそもそも今日中に乾かせば、二日分の大量の洗濯ものを御大層に出し入れしていることはないのだ、と、その大きな無駄に気が付いた。追加の乾燥だけならコストもあまりかからない。

そして実行してみると、家にいることが何と気持ちいい事か、と思うほどに、せいせいしたのである。
もともとインテリアを工夫するのが大好きで、色々手作りなどしていたのに、なんかこの頃、どーでもよくって、ひたすら散らかっているのを片付けることのみに意識が集中していたし、あの大量の洗濯ものがあちこちの窓辺にぶら下がっていることで、光や視界を遮って、プチ鬱を増幅していたと言っても、言い過ぎではないかもしれない。

もちろん旅行やグルメも気分転換にいいだろうけれど、帰れば待っている普段の暮らし。
普段の暮らしの中で、「考え」を変えて、それを実行してみると、それはプチバカンスのように、気分を一新させてくれる。

色々なことの意識を少し新しくしてみると、齢を重ねていく自分にも、ささやかにではあるが、若葉が生えたような、そんな新鮮な気分になる。ストレッチで体が軽くなるように、意識も時々ストレッチしなくちゃ、としみじみ思った。

流れる水は腐らないって言うしなあ。






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金盞花・春燈

金盞花・春燈

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本日の1曲/Eva Cassidy - Time After Time


金盞花この道海へ直進す



金盞花ひかりの筋力強くなる



彫像の影くっきりと金盞花







春燈を点けてゆうぐれ遠ざける



あちこちの頁で泣いて春燈


何の本で泣いていたかというと、片山由美子著の「現代日本女流百人」なのであるが、いつ頃買ったものか忘れているくらいで、平成11年発行となっているので、もう19年も前に発行されている本だ。

女流俳人を、大正以降から昭和にかけて、百人、その代表作とプロフィールを簡潔に紹介する趣旨の本で、以前から時間がある時に、ちょくちょく取り出しては飛ばし読み、広げたところ読みで、親しんでいた本だ。

だが、いまだかつてこの本を涙ながらに読んだ覚えはなくて、たぶんもっと若い頃には、おもに俳句作品だけに注意を集中して読んでいたような気がする。
それも、作品の中でもやや奇抜な、ユニークなものを追っていたし、、作者のプロフィールの部分も、おそらくは読んでいたとは思うのだが、単なる「話」として、さほど感情移入せずに通り過ぎていたのかもしれない。

今回久しぶりに取り出して、じっくり読んだのだが、あっちで涙、こっちで涙、真っ直ぐに読み進められないような、そんな有様だったのは、こちらが年を重ねたせいだろうか。

実に様々な女性の人生があった。

その短いプロフィールに纏わる文章の中に、決して多くはない代表作の句の中に、察して余りあるそれぞれの平坦ではない人生があり、それらの人生が、見事に句に結晶していた。

長く病床に伏していた女性、夫と離別した女性、幸せには繋がらぬ恋をしていた女性、夫が亡くなった後に、子供まで亡くなってしまった女性。人それぞれに、その苦悩の形は違っているが、俳句に全人格をかけて詠んでいる、その迫力に胸を打たれた。

石田波郷門下の山田みづえは、夫との不和から、婚家にやむなく子を置いて去らねばならなかった葛藤を、ストレートに句に残している。

「考えても考えても解決なし」という前書きがある。

目の前に凍湖ばかりや言いひつのり

罵られ吹っ飛び出づる膝まで雪

嘆かへば雪靴の吾子すがり来る

子を置きて四年狂わず青山椒

猫じゃらし泣き癖の頬にほしいまま

子供の日は悲母の一日や家を出でず

野分に得し力恃まむ子に逢ふまで



夫と別れるだけならまだしも、子供と別れなくてはならなかったのは、時代的な背景もあるにしろ、どれほどの悲しみだったことか。

「花鳥風月」どころではない。俳句というものの枠を大きく動かしている。



一方、水原秋櫻子門下の古賀まり子は、まだ若い頃結核を発病し、長い療養生活を余儀なくされた。

夕焼けぬ壁にすがりて立てる身も

血を享けしぬくもり罌粟の昼ふかし

柿紅しいつまで病みて母泣かす


健康を取り戻し、30代に社会復帰をし、貧しい人々のための医療活動を仕事にするも、今度は乳癌の宣告を受け、また闘病の日が始まる。

失ひし乳房戻らず鳥雲に

心にも傷あと深く五月癒ゆ

医へ通ふのみの日傘を選び買ふ


しかし、また健康を回復し、再びしみじみとした作品を作り続けることになる。

花種蒔く土の眠りを覚ましつつ

水に身をまかす水草開け易し




書きだしたら切りが無いので、二人の例をあげるにとどまるが、大河小説やラブストーリーならいざ知らず、俳句の本を読みながら、涙腺が壊れたようになってしまったというのは、初めてだ。
(もちろん、こういうドラマティックな生涯の俳人を集めたというわけではない。様々なタイプの女流俳人がたくさん載っていて、最後は大好きな澁谷道さんだというのが、なんか嬉しい。)

それにしても、同じ本一冊を、同じ人間が読んでも、その時々によって、これほどまでに感じるものが違うものなのだろうか。

炙り出しのように、齢とともに見えてくるものが、あるのかもしれない。




若ければ見えぬ行間春燈







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しじまよりしずかな音に春の雨



春の月闇に描きたる不安かな



アネモネ揺れる気に病むな気に病むな



アネモネや睡りに錘ついている



小手毬や娘の頃の時長く



小手毬の風よりすこし遅く揺れ


小手毬は、とても好きな花である。
独身の頃、実家の自分の部屋から、隣の庭の小手毬が溢れるようにに咲いているのを、いつも気持ちよく眺めていた。

晩春の風は緩やかに光を撒き散らす。
その風に少しタイミングが遅れて、小手毬の花が揺れるのは、その花の重みと、枝の長さのためだろう。

今に比べれば、時間もふんだんにあった。
だから光も、風も、空も、雲も、たっぷりとあった。

それでもやはり、三十ともなれば、このままでいいのだろうかと、いつも頭の片隅に付箋のようなものが、ついていたのだ。




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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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