カンナ・星月夜

カンナ



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カンナ咲く真昼の燭の如く咲く



枯れながら咲きながらカンナのソプラノ



カンナ咲く男待たせている女



血圧の高そうな雲カンナ咲く






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星月夜・天の川など


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光年の出会いばかりの星月夜



星月夜子音涼しく犇めきぬ



星月夜かつて知ったる未知もあり



銀河ありそうで無さそうなものばかり



天の川耳鳴り右から左へと



スプーンとフォーク銀河に落とす



星月夜距離という寂しさ一堂に

ただでさえ、この年になると頭の中はどうも混沌としてくる。ひとつの目的があって、そのために行った部屋で、「あれ、何しに来たっけ?」はもうしょっ中。
そんなモヤモヤした頭の中に、また解決のむつかしい問題が堂々巡りを始めると、もういけない、心はわた飴の上に、ソフトクリームを絞り出してのせたような、なんとも不安定な、寄る辺ない状況になる。

「気分を変えなくちゃ!」
夕飯の準備に取り掛かろう。そういえば息子がちょっと辛目の麻婆豆腐を食べたいと言っていたから、今日の挽肉は麻婆豆腐にしよう。
ニンニクとショウガのみじん切りにネギのみじん切りを用意して、豆腐の水切りをする。フライパンを温めて、みじん切りの細かなものたちをいため、豆板醤を入れて、一緒に炒めるんだったっけ。
ここが昔は分からなかった。後で、たれに豆板醤を入れていたりしたので、美味しくならなかったのだ。
この肉を入れる前の段階で、豆板醤を炒めるから、美味しくなるのよねー。

などと自分を励ましつつ、豆腐の準備。ネットスーパーで注文した豆腐は、パッケージの写真が小さくて分からなかったのだが、大きな豆腐ではなく、なんと小さな豆腐4つだった。大きな帯状のビニールが巻かれていたので、様子が分からなかった。
チマチマと小さな豆腐をキッチンペーパーを敷いた皿に並べてレンジで水切をしたが、なんか怪しかった。プルプルしていて、水がきれたんだかなんだか、はっきりしておくれって感じだったが、まあいいかとガス台の横に持ってきた。

ここで何気なく手元にあったスマホを見ると、「がーん!」
「今日は飲みに行くことになったので、夕飯いらない」だと。

ソフトクリームをのせていたわた飴を支えていた割りばしが、一挙にぽっきりと折れたような気持ちになった。

いや、気を取り直そう。
とにかく麻婆豆腐を作ろう。何か一つうまくいけば、気持ちというのは、かなり前向きになるものだ。
などと思いつつ、作業を再開した。炒めた豆板醤に、醤油や味噌を合わせたたれをつぎ込み、ジュージューいってるところに、怪しい豆腐たちを投げ込んだ。
そこで、はっとした。
「なんか違う」
後の祭りである。挽肉はどうしたんだ!挽肉は! 挽肉を炒める手順を、まるきり省いているではないかー!!前代未聞のボケである。挽肉はいまだ冷蔵庫の中なのであった。
豆腐たちはもう、たれの中で出来上がりつつある。
私は挽肉を手に、全速力で思案した。「どーしよー」
しかし考えるより速く、どこからか巨大なな魔力のようなものが、私をつかんだ。

それは「ええい、ままよ」という名のラベリングがされている魔力で、副タイトルとして「どうにでもなるがいい」とラベリングされている魔力だった。
私は、手にしていた挽肉を、炒めずにそのまま鍋に投げ込んだ。
「和風料理で、挽肉と厚揚げの煮物なんかもあるんだし、炒めずに煮ただけだって、それほど酷いことはないだろう」そういう考えもチラリと頭を掠めた。
しかし甘かった。
出来るには出来たが、食べてみると果たしてそれは「失望の味」だった。
入れた材料の味は、すべて、した。
ニンニク、しょうが、豆板醤、豆腐、挽肉、ごま油、このそれぞれのものの味は、確かにした。
しかしそれらは、「協力して」ハーモニーのようなものを、作ってはいなかった。
それらの味はどこまでも分裂して、バラバラだった。

見た目もなかなか酷かった。むきになって挽肉を固まらないよう掻き混ぜたので、豆腐も何が何だかわからないほど細かくなってしまっていて、この見た目そのものが、もう、今の私の頭の中を如実に表していた。
混沌とした気持ちで作った混沌とした麻婆豆腐。この一皿は、今の私の心そのものだ。

ついにわた飴の割りばしの棒はポッキリ折れてしまった。

全てに嫌気がさして、私はベランダに出た。
槍投げでもするように、モヤモヤしている気持ちを外界に打ち捨てられたら、と思った。
しかし、ふと夜空を見上げると、いつもと様子が違っていることに、気が付いた。

いつになく、沢山の星が、出ているのだ。街中のこの辺では、こんなに星が見えるのは、珍しい。しかもパソコンのせいで、非常に度の進んだ私の老眼の視力で、ここまで見えるとは。手元だけが見づらく、遠景が見えていたのは、もう昔。今では、遠景も、中景も、手元もみなそれなりに見えない。

そういえば、月が無かった。そうか、月はもう沈んでしまったのかも。それで余計に、こんなに星が見えるのだ。
8月上旬は歳時記の世界ではもう「初秋」だ。
ではこれこそが、初秋の歳時記にある「星月夜」というものではないか。
七夕も、もとはと言えば現在の8月の季語で、その頃は星が良く見える、ということも思い出した。

なるほどなあ。温暖化と暦のずれで、色々ひずみもあるけど、基本的には歳時記の通りなんだ。
私は感心した。
しかしベガとアルタイルがどれかは、探したけれど分からなかった。私の視力で見つかった星座は、実に分かりやすい、ひしゃげたWの字、カシオペアだけだった。

それにしても、よくよく目を凝らして見ると、ありそうなのだ、「天の川」が!
何か、モヤモヤと少し白濁している流れがあるようなのだ。
天の川の微かな白濁、そのモヤモヤは、あの麻婆豆腐のモヤモヤと、何たる違いであろうか。

私はすっかり気分が晴れた。

なんて遠い者たち同士だろう。気の遠くなるような隔たり、想像しがたい無限。
距離たちの交響曲、無限という涼しさ。

麻婆豆腐がどうしたというのだ、わた飴がどうしたというのだ、とりあえず、この涼しい距離間の中で、小さく小さく、一粒の砂のようになったミクロな自分を感じていようではないか。

その感覚は、大層涼しく、気持ちの良いものだった。









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予定無く蝉の声吸い取っている



蝉の声記憶の瘡蓋はがれをり



秋扇こと荒立てぬよう話す



ひぐらしに空遠のきぬ幾重にも





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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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