梔子・梅雨の月

梔子


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梔子の香よりこの道昏くなり



梔子や水の筆跡とどまらず



梔子や古い手紙の古い傷



梔子や夕暮れが髪を洗う



梔子の香りも我も行き止まる


梔子や沈丁花や、金木犀の香りは、花から随分離れて、思いがけないところでわだかまっていたりする。
それらはもう、花に帰らない。

幽体離脱のように、あるいはもう、魂みたいなものだ。

建物や植え込みに、香りをのせた風が通せんぼされて、小さな沼のように梔子の香りがわだかまっている。
濃密なその香りの行き止まりの中で、

私も一緒にわだかまっている。

自分も心の帰れる場所が欲しいなあ。
もう長い間、本当にはなかった、自分の居場所。

それは物質的な空間じゃないから。

忙しさにかこつけて、胡麻化してこれたけれども、
却ってしゃにむに頑張ることができたけれども、

もうそんなに頑張る気持ちにならないなあ。

花から離れてしまった香りは、一体何処へ行くんだろう。








梅雨の月



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梅雨の月夢はあるべき場所にあり




梅雨の月坂の途中に座る猫



真夜中に顔を洗えば梅雨の月



酔っぱらう今天心に梅雨の月

盆暮れ正月では無く、盆暮れくらいのローテーションで、一人で飲みにゆく。
一年に2回くらい。可愛いものである。
(うちは夫が飲まないのだ)

しかし主婦になると、自分だけが飲みに行く場合、「根回し」が必要になるから、案外大変なことなんである。
つまり家族の夕ご飯をちゃんとするということなんだが、これはかなり面倒なことになる。
家は息子以外は朝4時に就寝という典型的在宅ワーカーの家庭なのだ。
なので例えばこの間の日曜は10時半に起きて、朝食の準備、食事、後始末、それから大量の洗濯。昨日の洗濯ものの始末。それから、部屋を片付ける。それからシャンプーをして、髪を乾かしているうちに、「腹減った」ということになり、昼食のパスタを茹でる。食べて、洗って、自分の顔も洗って、化粧をする。
するとかれこれもう夕方である。
さてここで、ちょっと休みたいではないか。
ここですかさず夕飯の支度なんてのは、私にはぜーったい無理。でも一品くらいは作ってゆかなくてはならぬ。ということでぐっとこらえて、胡瓜と安かった茗荷を気前よく2パック、ぽんぽんと乱切りにして、紫蘇の千切りと赤唐辛子とともに甘酢につける。帰宅したら、これにトマトを切って混ぜれば良し。

問題は主菜だ。
わが町に少し前まであった、唯一のスーパーが、なんと少し前に閉めてしまった!
隣町まで歩くか、電車で3駅乗るかしなくては、ファミリー向けのリーズナブルで満足な蛋白源は手に入らない。
そこで息子に「和幸のとんかつ弁当」にしようと提案し、揚げ物をあまり食べない息子もたまにはいいということになったのだが、3人前の弁当とその他もろもろのものを買って、隣町から歩いて帰るのは、ご免こうむりたい。
途中、これで雨でもパラついてごらんなさい。

そこで買ったあとで電話するから自転車で取りに来てと息子に頼んだら、「拒否」。「時間がもったいない」。
今までであれば、「あんたも食べるんだろーが」などともめたことだろうが、現在息子は就職したての恐怖の研修地獄の真っ只中で、連日睡眠4時間でプログラミングの猛勉強真っ只中なので、致し方ない。

うちの場合、息子と夫と両方11時ごろの帰宅なので、ここのところ夕飯は11時半頃。
なので「和幸のカツ」を買って、それを持って「飲みにゆき」、
「和幸のカツ」を持って、帰ってくる。
という涙ぐましい「主婦の夜遊び」計画が実行されることとなった。
なんでそこまでして飲みにゆくのかって?
それは書かないがそれなりの理由があるのである。

しかしぷんぷん匂うようなトンカツなんぞ持って、一体どこへ飲みに行けたものか。
おしゃれなジャズバーなんかに行けるわけもない。
ここは古巣のロックバー、稲毛のその名も「フルハウス」。私にとっては「古巣ハウス」に行くことに。

一見おしゃれな店だけれど、気取りのない、一風変わったシニアが常連。だって、1970年代ロックをかける店ですから。でも若い常連さんも、勿論いるんだけど。

カウンターで最初に隣り合わせた人は、マスターによればプール付きの邸宅に住むお金持ちの、しかし全然そういう感じではない、気さくなK君。常連の中では若い。歯切れ良いお喋りがとても楽しく、こういう人と喋りだすと、自分がスケートしてるみたいに気持ちいい。
いや、彼の頭がいいとか、話が上手いとかは勿論なんだろうと思うけど、何か性格的に似ているところもあるのかも。
何年か前に居合わせた時、「いやー、僕もうこれから先の人生で、やりたいこととか、やってみたいこととか、全然、ないんです。」と、きっぱり、さっぱり、大真面目に明るく言っていた。
こういうフレーズをこんな風に明るく言う人を初めて見たので、面白かった。
そしてこう言うのだ。
「でも、してみたいことが、ひとつだけ、あるんですよ」「うんうん、何?」
「結婚なんですよ。」
これも大真面目に言っていた。面白いなあ。

そして今では目出度く、夕飯を作って待っていてくれる、素敵な奥さんがいるのだ!
道理で帰るの早かった。

次なるお隣さんは、ピアニストのTさん。バンドもやっているが、音楽教室も経営している。
とても音楽の守備範囲が広いから、話していて楽しい。
グレッグ・オールマンが亡くなったこと。ダニエル・クラールのピアノがセンスのいいこと。
彼がチャー(竹中尚人)とコマーシャルで共演した話を、スマホの写真を見せてもらいながら聞いていて、面白くて、すっかり気持ちよく酔いが回ってきたと思いきや、例の困った「病気」が出た!

数年前から悩まされている「頻尿発作」なんである!
普段は普通なんだけど、この発作が起きると、なんと、6,7分おきにトイレに行くのだ。それが5,6回でワンセットで終わる。
お酒を飲むと、大抵起きる。ほんっとーに、困りものである。
人の話の腰をぽきっと折るのって、大嫌いなんだけど。
ショッピング中なんかに起きても、もう大変。あっちのトイレ、こっちのトイレ・・・
しかも「膀胱炎」が癖になった時期があり、ひどいときは1月に2回も。抗生剤の飲みすぎで、また別の病気も起きたり、もー二度とああいう地獄のような思いはしたくないので、トイレに行きたくなったら、絶対我慢するわけにはゆかぬ。

チャーと共演の話が佳境に入るたびに、「あーちょっとごめんなさーい!」
帰ってきて再び話が始まり、また盛り上がって来ると、「あー、ごめんねー、もうー」
またまた話に熱が入ってきたころ合いに、「またまた失礼ー!」
なんということだ。こんな醜態をさらせるのは、古巣ハウスだけである。Tさん、ホントに失礼いたしました。

ところで、バーのカウンターの椅子って、大抵円い。そして真ん中が少々盛り上がっている。
そこにのせてある「和幸のカツ」は時々ずり落ちそうになる。それをひっぱり上げるのにいい加減疲れてきた。
だもんで、もう面倒くさくなり、「和幸のカツー!」と言いながら堂々とカウンターにのせてしまったら、反対側のお隣さんの夫婦の、奥さんの方が「和幸のカツ、私大好き」と言ってきた。

彼女はTレックスが好きなんだそうで、Get It On がかかる。懐かしい。
夫婦で飲みに行くなんて、いいなあ、と思っていたら、旦那さんがトイレに行った隙に、彼女がささやく。
「あのー、うちのひと、相当酔っぱらってて、あのう、なんかご迷惑おかけするかもしれませんので」という。
「は?」
「あのー、そこにある、缶コーヒーなんですけど」彼女が指さす。
「ああこれ?」
私は今日駅で,疲れていたのか、無性に砂糖入りのコーヒーが飲みたくなり、カフェに入るのも面倒だったので、取り合えず缶コーヒーを買い、それを飲みながら、フルハウスに、やって来た。
まだ少し残っていたので、缶コーヒーはカウンターの上に置かれたままだった。まあ、他の店ではこうはいかないけど。なにせ「古巣ハウス」だから。

「これが何か?」
「ええー、うちのひと、こだわりが色々激しくて、こういうの見ると、何でここに缶コーヒーがあるんですかって、ツッコミ入れてくると思うんです。」
「えーっ?」
「多分、言いそうなんで。もし、そんなことになったら、適当にあしらってください」と言うではないか。

示し合わせたわけでもない、読心術が使えるわけでもない、いくら奥さんでも夫の次のセリフが読めるのか。
私は半信半疑だった。
果たして旦那さんは帰ってきたが、話は全然違う方に行ってるみたい。やれやれどうってことなさそう。

ところがそれから20分くらい経過した時、その旦那さんが私に問いかけてくるではないか。
「あのー、すいません、あのーすいません、」
「はい?」
「その、缶コーヒー、それ、何ですか。なんで、ここにあるんですか」
不思議でしょうがない、って顔だ。

私はもう笑いをこらえるのが大変だった。
スゴイ夫婦。

でも奥さんはどういう展開になるか、少しビビッていたよう。
こういう時にはすかさず「フルマス」ことマスターの出番である。
そして、いつもの真っ赤な嘘を言う。「○○ちゃんは、
(これは私のことなんである。還暦手前なのにちゃん付けはスゴイ)うちの店、中学生のころから来てるんだよ!」

だれが中学生の頃から行けるもんか。
高校生だよ。
(でもそのころは、「ロック・バー」ではなく、「ロック喫茶」だったんだからね!)
これでツルの一声で解決。男性は縦社会で生きているから、骨董品ほど古い客とわかると、絡んだりしてこない。

反対側の他の人と喋っていて、ふと気が付くと、いつの間にかその夫婦が親子連れ3人に代わっている。
両親と、その若い娘さんで、娘さんは「女優」なんだそうだ。
いいなあー、親子で飲めるなんて。
でも私の隣に座ったその娘さんは、黒ビールの小瓶を手酌でドドーっとグラスについでいる。
そうだよなー、親子だもんなー、手酌かもなあ、こういう場合。
「女優さん」ともちょっと色々お喋りして、面白かった。テンションの高い、女優さんだった。

さて、そろそろ家の夕飯の時刻が近づいて来た。帰らねば。竜宮城からカメに乗って帰る浦島太郎のようだ。
皆さんに挨拶すると、フレンドリーであたたかな「おやすみなさい」が飛び交った。なんていい気分。

さて最後にトイレに行かなくちゃ。
でも大事な和幸のカツ、はるばる旅をしてバーのカウンターに鎮座していたこのトンカツを忘れてなるものか。
私はトイレにトンカツを忘れないように、緊張した。久しぶりに大分酔っぱらっているではないか。
しかし、最後に手を洗い、トイレの出口のドアノブを開けようとすると、荷物を持っている左手がいやに重い。

さてはトンカツが狸にでも化けたか、と理不尽なことをふと思いつつ荷物を見ると、何故かトンカツの入っているスーパーのビニール袋がとっても大きくなっている。「えっ、何これ?」と思って中を見ると、狸ではなく、トイレットペーパーが5つくらいぼこぼこ入っている。

「うわー!」
狸に化かされたのか? 一瞬頭の中が空白に。
トンカツがトイレットペーパーに? 何せ酔っているから混乱この上ない。

落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせて、よくよく見ると、トンカツの袋は別に、ちゃんと存在している。
これはもうひとつ、別のスーパーの袋、なのだ。
よく考えたら、トイレの壁の所持品をかけるフックに、予めここのトイレの予備のペーパーが、大きなスーパーの袋に入って、吊るしてあった、のだ。そこに上からトンカツやら自分の荷物をかけたので、全てが一緒になり、それを根こそぎ持ち出して、こういう結果になったらしい。
あー誰も居なくて良かったなあ。私は汗をかきながら、素早くその袋を元に戻した。

主婦が飲みに行くというのは、かように大変なことなんである。

タクシーが基本料金ですまなかったのが多少の難点ではあったが、今日はとても良い日だった。
人様がいなくなると急激に酔いが回り、わあわあ言いながら息子と夕飯をし、なんとか和幸のカツは食卓に辿り着いたが、そのあと食卓のベンチに突っ伏したまま起きられなかった。

しばらくして目が覚めると、息子が言った。
「そっちの分も、洗い物してやったんだぞ!」

ええーっ!トンカツ弁当引き取りを拒否したのに? プログラミング言語の詰め込みで、目線が宙に浮いてるのに?自分じゃ、インスタントラーメンだって作りたがらず、せいぜいカップで済ませる息子が?

私の脳裏に、文節でも文章でもなく、ただ一つの、シンプルな単語が鮮やかに浮かび上がった。

「育った!」






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いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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