万緑・緑陰・花菖蒲など


DIC川村記念美術館

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また佐倉市の川村記念美術館に行ってきた。
自宅から車で30分くらいなので、手軽に自然に触れたくなったら、ここがお気に入り。
展覧会の方は、気に入ったものをやっているときだけ見る。広大な庭園が大変美しいから、緑のシャワーを浴びたくなったら、ここに来る。

自然の雑木林などを生かしながらも、造園の素晴らしさは心に残る。
ちょっとした坂道の勾配や小道の曲がり方、小さな小川の誂えかた、木々や花々の配置。
全てが五感に「心地よい」のだが、作り込まれすぎてはいない。

それから、お気に入りのわけは他にもある。
これだけ自然の中でも、2か所にある野外トイレがとても綺麗だという、ちょっと変わった理由なのだ。
自然公園などで、一番辟易するのは、トイレである。
これだけ自然の中で遊べて、野外に洋式の清潔なトイレがあるというのは、とても嬉しい。
膝が悪い人など、感涙ものだと思う。
美術館の建物も、サイロのような、お城のような・・・なにかほっとするし、郷愁を感じる不思議な建物。





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噴水のある池には、白鳥がのんびりと浮かんでいる。(白鳥写っていなくてスミマセン。)


とどこおるもの無く噴水美しく


噴水の彼方の月日かき乱す



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大賀蓮で埋め尽くされている池に、コローの風景画のような大木。この、和風でも洋風でも一辺倒でないところが好き。
夫が忙しかったので、来るのが5月下旬になってしまったら、全ての花の端境期。(笑)
躑躅は大方終わり、見事な藤棚は完全に終わり、大賀蓮はこれから、紫陽花もいーっぱいあるけど、まだ蕾。
「ここに紫陽花が、ワーッと咲くね」「ここに蓮がワーッと咲いたら凄いね。」「ここに藤がわーっと咲いてたんだね、これだけあったら壮観だっただろうね」。などなどと、「花の亡霊」のオン・パレード!
でも、ま、これだけ新緑を湯水のように浴びられたんだから、いいか。
それから、そういう時期だから、混んでいなかったのも良かった。



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初めて出会った花。清潔感があるけど華やかで、とても気に入ったが名前がわからない。後で調べたら、「カシワバアジサイ」という北アメリカ東部原産のアジサイの仲間だそう。どおりで葉っぱがカシワに似ている。



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疲れたらここで一休み。最高の休憩所。
椅子とテーブルがあるので、コンビニで買ったものを広げてお昼にする。
特にここのトイレはキレイ。デパート並み。自販機も、5月でも冷たいものばかりでなく、紙コップのホットコーヒーなどの飲み物もあるので、冷たい飲み物が苦手な私にはありがたい。
新緑のシャワーの中で、ゆっくりする。



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これぞ「緑陰」。鬱蒼とした木々が無限に重なり合っている。


緑陰を言葉少なく通りゆく


緑陰に鎮まれるもの騒ぐもの



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これは「ガマズミ」の花。なんかおっとりしてて、いいな。5月に咲いていたが、夏の季語には無かった。



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どくだみ。十薬。白い花は可憐でストイックな感じ。


十薬や日陰に憩うもの多き


十薬や身辺整理の日々続く



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花菖蒲。アヤメ、カキツバタなどと似ていて分かりにくいが、これは花びらの根本に黄色い色が入っているので、花菖蒲だと思う。まだ「はしり」で、4,5本にしか出会えなかった。それにしてもインパクトのある紫。



風を切る如き色なり花菖蒲


立ち上がるひとりまたひとり花菖蒲


花菖蒲アンドロメダは旋回す


花菖蒲ピカソの女こちら見る




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万緑の中に、ヘンリームーアのブロンズ像がある。


万緑や奥へ奥へと揺ぎなく


思い切ることも万緑新しく


万緑やブロンズ像は昏睡す

私は2次元の女なのである。と言って、別にお化けではない。絵を描いたり、平面のデザインをするのは好きだったが、粘土や工作など、立体の創作はまるでダメ。陶芸とか、あと料理の盛り付けなどもダメ。生け花、フラワーアレンジメントなども全く苦手である。
一枚の平面の中での色彩や配置は、あーでもない、こーでもないとこだわりにこだわるが、かたや立体となると、何処を高くして、何処を低くし、何処を出っ張らせて何処をへこませたら格好が良いのか、とんと勘が利かなくなってしまうのである。
だから彫刻というものの得意な人を、非常に尊敬しながらも、よその星の人のように、思っているところがある。

ヘンリー・ムーアのブロンズ像も、これを見て考えていたのは、どういう手段でこんなに大きく重たいものを、ここまで運んで来たのだろう、ということと、この広場の中での置き場所を、一体どうやって決めたのだろう、などという姑息なことなんである。

3Dソフトなんてものがあるのだから、それを使って、何処に置いたら最高の眺めか、シュミレーションして決めたのかもしれないが。

このブロンズ像は何に見えるだろう。

私には、ちょっとうつむいて、考えている人のように、見える。
悲しんでいるようにも、見える。
何かをじっと聞き取ろうとしているようにも、見える。

そしてまた、チェスの駒のようでもある。

もしや、草木も眠る夜真っ只中、万緑の森の後ろ手から、のっそりと巨人が現れて、ヘンリー・ムーアのブロンズ像を、ひょいと掴んだのではないだろうか。
そしておもむろに、広場のとある場所へ、チェスの駒さながらに、置く。
「いやー、そこじゃないな・・・」
こちらで応じているのは、美術館の館長だ。「もっと、右、右だよ」
巨人がブロンズ像を動かす。
「いやいや、行き過ぎ。もうちょい左だ!」
巨人はイラついてくる。
「うーん、うううーん!」巨人がため息をつくと、大きな風が巻き起こる。
「もう少し手前、手前だよ、君、わからんかね、手前!」

巨人は怒る。
「ぶぅぅぅぅぅうううう!」
そこいらじゅうが、竜巻に巻き込まれてしまう。

などという埒もない白昼夢が、ほんの一瞬私の理性を麻痺させてしまうのであった。







緑夜かな猫も信号渡りをり

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深夜夫と二人で車で帰宅する最中のことだ。
ハードスケジュールだった一日で、二人とも疲れ果てていて、無口になっていた。
後5分くらい走れば家、という辺りで、交差点の信号で止まった。
交差点周辺はキャンパスなので、緑も多く、5月の夜の伸び伸びとした夜風に、木々が気持ち良さそうにざわめいている。11時頃だったこともあり、人影はほとんど見当たらなかった。

ふと見ると、横断歩道を渡っているものがいる。人間ではない。

目を凝らして見ると、なんと黒猫が一匹、信号が青になったそのタイミングで、私たちの車の目の前の、横断歩道を
真っ直ぐに渡っているではないか!

ゆっくり歩いていくのではなく、すっ飛んで走るのでもなく、時々見かける、「小走り」という感じ。
あの、何となく足の数が倍になって見えるくらいの、「スタタタタタタ・・・」、という軽快な「小走り」なんである。

私は夫と顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
「猫が、猫がちゃんと信号渡ってるー!!!」
「どうして信号が青になったの、わかるわけ?」

興奮すると、あらぬことを考えてしまうものだが、よくよく考えてみると、猫なんだから、信号の青だの赤だのわかるわけない。たまたま横断歩道のところで、待っていたのだろう。
あっち側へ渡りたいなー、と思っても、車がビュンビュン走っていたら、そりゃ猫だって、じっと待っているというものだろう。
そして、急に車達がピタッと止まってくれたのだから、「さあ、どーぞ、渡っていいよ」って言われたように、思ったとしても無理はない。

「よっしゃ」
という感じで、「スタタタタタタ・・・・・」と横断歩道を渡っていったのでしょう。

で、でも、もしや「この白い線のあるところからなら、時々あの怪物たちが皆止まってくれるんだよな」、なんて考えていたりしたら・・・スゴイ。・・・コワい。

それにしても、こんな小さなハプニングで、私達はとても良い気分になった。
少なくとも、今日起きたことの中で、一番素敵なことだった。
これで二人の疲労は、半分くらいは回復した。






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いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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