朧月夜 2017/4

朧夜の猫の分かれて逃げる道



朧夜の湯を踏む音の聞こえをり



浴槽に光捩れて朧月



朧夜の睡りはすぐに岸離れ




20174h.jpg


ふと夜空を見上げると、そこに朧月を発見することが多くなった。

淡くなった月光と、その周辺を点描のように、様々な色の細かな粒子が取り巻いている。
空気中の水蒸気が多くなると、発生しやすくなるらしい。
ある夜ベランダに出ると、東の空に出たばかりの月は、最初朧月ではなかった。
それはちょうど和菓子の「すあま」のような感じで、もったりと黄身色をしていて、ちょっと不気味だった。
夏の月はもっと水気があるのだけれど、春の月はもう少し半生な感じなのだった。
しかし暫く時間が経過して、再びベランダに出ると、高みに上った月は、しんみりと光を放つ朧月に変身していた。

でも何かが違う。
朧月夜というのは、もうすこし取り巻いている大気がなまあったかい、そのために体中がふっと弛緩するような、そんな記憶が根強いのである。
そう、まさに「なのはーなばたけーに、いりーひ、うすれー」という、「朧月夜」の歌の、あのリラックス感、鼻歌が出るような春の夜の気持ちよさ。

今年は何か、まだそこまでいってないような気がする。
確かに日中の温度はここ2,3日急に上がったが、今度はやや薄暑じみていて、「気持ちいいー」という雰囲気とは微妙に違う。
それなのに、深夜には、かなり大気がひんやりしていて、「ああ、春の夜だ」というしみじみとした感慨が湧いてこない。

春が爛漫に熟成する前に、初夏になってしまわないことを祈るばかりである。
「今年の春、行方不明」、なんてのはたまらなくいやである。





言えなかった言葉芽を出す朧月



朧月森に傷つく獣たち



朧月未完の春の骨格に


日の当たって、視界のきく森を歩くように、言葉の意味を普段の筋道通りに使う俳句。
それから朧夜のように、視界のきかない霞の立ち込めた森に立ち入って、言葉の繋がりを通常の関係性から切り離し、無意識に大分近いところから、手探りで探してくる俳句。
大きく分けると、その二通りの俳句があると思う。

実際には、二つのタイプが厳然と分かれているのではなく、限りなくスライダ式になっていて、その中間もあれば、読みようによって、どちらともとれる俳句もあるだろう。
ひとつの考え方として、伝統俳句というのは、視界のきく森で言葉をさがすことで、現代俳句というのは、朧の森の視界のきかない場所で言葉を探すこと、と例えてみてもいいかもしれない。

そのどちらも好きで、どちらも詠みたいから、困るのだ。
並べて書けば段差ができて、すんなりゆかない。でこぼこする。

大体のところは、その中間あたりで俳句を詠んでいるつもりだ。
視界のきかない方の森から掬い上げる俳句は、数としては少ししかできないが、私にとってはとても大事な句だ。
だからといって、シンプルな言い回しの句を、「つまらない」とか「普通すぎる」などと排除したりする気にはならない。

こんなにもミニマムな詩形が、こんなにもはっきりと流派が分かれるほどに、多彩な表現が可能であるということ自体がとても面白い。

統一が取れなくとも、俳句の道を私は、自由に歩いて行きたいと思う。
そしてスタイル以外の、自分らしさのような統一感が出てくることを、目指しているのだとも思う。







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いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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