FC2ブログ



20189-12.jpg
本日の1曲/Sunday Song - Richie Beirach (Piano solo)


満月やバスの乗客我のみに



名月やつま先立ちでゆく時間



路地深く静かに月に追われゆく







月の光というものは、どんなに烈しく煌々と輝いていたとしても、静かである。

そこにとても惹かれるというか、引っかかるというか、とにかく素通りできないのだ。

その静けさには、太陽の持つ問答無用な暴力的でさえある生命力も無ければ、人口の光源の、嫌にのっぺりした平坦な無表情も
持ち合わせが無い

夜空にいきなり金属を貼り付けたかと思うほど、鋭い光を放っている時でも、その光の底の方には静かに覚醒している何かがあって、それはひんやりしたさざ波のように、私の身心の最下層へと沈殿してゆく。

月の下に、全てが眠っている、わけではない。

大多数が眠っているとしても、夜勤の医師や看護婦やガードマンや、受験生だの不眠症の人々だの、病のためになかなか眠れない人々もいて、夜行性の動物もいるし、眠るもの達と眠らぬもの達すべての上に、月が昇る。

月はこれらの物と一体になっていながら、完全に孤高だ。

月の光の先端は、例えば鐘の音の最後の、消える間際の幽かな余韻のように、無の中へ、限りなく沁みとおるように、消えてゆく。

どこまでも遮るものの無い、静かな光。

こんな風に、自分の心を、余すところなく最後まで素直に見ることができたらと、そんなことを考える。

世の中は理不尽で満杯だし、身の回りには理由も無く足を引っ張って来る、厄介な昆虫のような連中がいくらでもいる。

感情はいくらあっても足りず、いたずらにそれに長い間深入りすれば、心ばかりか肉体も蝕まれてしまう。
感情は直ぐにざわめきたち、想像力はそれに点火し、ああでもないこうでもないと思い悩む。

するとだんだんと自分の感情を堰き止めるようになり、しかし堰き止めれば、それは必ず、深瀬や渦や、しこりやたんこぶのような物を生むのが感情というものだから、却って心の病や体の病や、突然の周囲との衝突を生むような気がする。

かように面倒かつ複雑な感情との付き合いというものが、人には、ある。


月の光の遮るものの無い、且つどこまでも静かな光を見ていると、いつでも「覚醒」と言う言葉が浮かんでくる。

己の心に対して、あんな風にすみやかでいられたら、率直でいられたら、もう少し静かな気持ちでいられるのではないか、そんなことを思うのだ。








応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村





20189-13.jpg


爽やかや次にやること決めていず



天高し草へ踏み出す一歩かな



秋の暮襖の奥にまた襖



鶏頭に嫉妬されている二人



流星や誰かを忘れていく途中



秋天に巨きクレーン届かずに



コスモスやいつまでも心を決めず







応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

No title

私もこんな風にかんじたことがあると思いながら、愛読させていただいております。当地方でも彼岸の中日に美しい月を見ることができました。
西洋では、ルナティックとかいって女性が一人で月を見つめていると気が変になるといわれているそうです。私も、現実の世界から浮遊していくような感じはしましたが、気が狂ってはいないつもりですが。

No title

こんにちは。

煌々と照らす月の光が「静か」だというのはそうだと思います。半月や三日月にも静かな風情がかんじられますよね。

「名月やつま先立ちでゆく時間」

天候のせいで不安定な観月だったのでしょうか。時間がつま先立ちでゆくというのは、時間が経つのが速いのか遅いのか色々に想像でき、面白いです。

「路地深く静かに月に追われゆく」

これは、一種の既視感がありますね。夜歩いていて、路地の奥まで月の光が届いている様子が想像できます。

「爽やかや次にやること決めていず」

秋の爽やかさに身も心もゆだねている心地よさが感じ取れます。その一方でやることはあるけれどという焦りも感じられます。

「コスモスやいつまでも心を決めず」

風に揺らいでいるコスモスでしょうか。

「秋の暮」の句も面白いですね。

ネコヤナギさんの句、いつも勉強になります。

Re: No title

taracyann ママこんにちわ。

コメントありがとうございます。

いつだったか読んだ黛まどかの著書で、欧米では月は不吉なものとして扱われていて、日本のように「月を愛でる」と言う感覚はなかなか理解されがたいことが書かれていて、文化の違いをひしひしと感じました。

日本では「花見」のように「月見」という習慣まであるわけですから、わざわざ供え物までして見るという伝統があったというのは、あちらの人には驚きなんだと思います。

そういうことをふまえて考えてみると、ベートーベンの「月光」ソナタは、とても革新的な曲だったのかもしれません。
月の光の静かな波長の美しさを、余すところなく伝えている旋律ですが、発表当時、どのように受け止められたのでしょう。

ドビッシーの「月の光」も大好きな曲ですが、この2曲はクラッシックの中でも素晴らしい名曲だと思います。

慣習的に、一般的に、「月」が不吉なものとしてイメージを持たれていたとしても、鋭敏な感性を持っている音楽家や画家達には、密かに愛され続けてきたものなのかもしれません。

「月」の光には、色々な生活の芥のようなものを、洗ってくれるような、そんな美しさがありますね。

Re: No title

桃香さんこんにちわ。

コメントありがとうございます。

「名月やつま先立ちでゆく時間」は、どうしよーかなー、と思いました。
意味としてはわかりにくいですから、でもこのままにしておいて、このまま言葉から落ちてくる滴みたいなものを受け取ってもらえるだろうか、どうなんだろうか、という、際どい句で。(汗)

おっしゃるように、時間がいつもと違った、なにか「際立った」歩き方をしているというか、そーっと、非日常的な歩き方をしている、そんな感じを表現したかったんだと思います。

「路地深く静かに月に追われゆく」

実は名月の日には、仕事が詰まっていて、いや、まだその状態なんですが、所用で外出しなければならず、大急ぎで家に帰る途中、最初は自分の左側に月を見つけて、嬉しくて、一緒に並んで歩いていましたが、そのうち道を曲がると、月は背後に回ってしまい、振り返り、振り返りしながら、背中に月の光を感じながら帰った、という無粋な主婦の生活から出た句で。

つぎに月に再開したのは、深夜ゴミをベランダのゴミ箱に入れに出た時、という、もうしみじみ悲しいお月見ですが(笑)
暫くは月とともに。

こんな慌ただしい生活の中で、もし俳句をやっていなかったら、瞬時に目に映って過ぎてゆくものたちを、心に留めつけておくのは、難しいことかもしれませんね。
非公開コメント

お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR