FC2ブログ

檸檬

檸檬

20189-6.jpg
本日の1曲/Janis Ian - Jesse




一灯の如く灯りし檸檬かな



人の意に沿ってはおれず檸檬かな



檸檬ひとつ企てひとつ胸の内



檸檬齧って白き帆となる真昼かな









にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村










最近買った本で、とても気に入っているものがある。

それは俳句の本でも、デザインの本でもなく、「ベニシアのハーブ便り」という、京都、大原で古民家暮らしをしている、イギリスの貴族出身の女性の自然の中での暮らしぶりを、沢山の写真やエッセイとともに綴ったものだ。

ベニシア・スタンリー・スミス、TVなどでご存知の方も多いと思う。
ブームを巻き起こしたと言ってもいいのではないか、本やDVDの人気も凄いが、ついに映画まで出来てしまったし。(2013)

私も、何かの雑誌で、彼女がイギリスの貴族階級の生まれであることは知っていたが、写真やエッセイを読んで驚いたのが、本当に「お城」と呼ぶしかないような所に住み、門番小屋まで行くのには、自分専用の馬で行く、という、何かの物語で読んだような生活そのままなのだった。

しかし彼女の母親は、短気で情熱的な性格だったようで、「恋をするたびに結婚した」というから、大変なものである。4回結婚している。
結婚していようが、子供が沢山いようが、独身の時と同じようなスタンスで恋をした人のようである。

そのたんびに、幼い子供たちははやくに実の父とは離れ離れになり、義理の父親に、やっとなついて来た頃に、また離別して、新たな父親を迎えなくてはならない。
うーん、これは大変だ。陰でこそこそ不倫することに比べたら、いいのか、どうなのか、でも子供たちにとっては、大変気を使う生活だったのではないだろうか。

そんな中で、1960年代に、カウンターカルチャーの只中で青春を迎えたベニシアは、貴族社会でこのまま配偶者を待つ生活への疑問、本当に自分のしたいことは何なのか、暗中模索する。

そして家出同然でインドへ自分探しの旅に出て、そののちに日本にたどり着く。
日本では、英語学校を経営し、二度結婚をして、四人の子供をもうけ、現在に至っているのである。

登山家でカメラマンでもある現在の夫とふたりで、京都大原の古民家を時間をかけて改造し、修復し、庭をつくり、沢山のハーブを育てて、それを生活のあらゆるシーンで役立てる。
沢山のハーブ料理のレシピから、ハーブから作る、石鹸、シャンプー、塗り薬、まで、作り方が紹介されていて、随所に夫が日本語に翻訳したというエッセイが、またそれらを一層興味深いものにしている。
そして京都大原の、奥深い自然の営みの美しい写真が、見るものを魅了してしまう。

この本が、何故こんなに気に入ったのか、私は考えた。

そもそも私が最近ハーブに興味を持ったのは、自分と家族の血圧などの体調のために、放任していた料理の塩分をコントロールしようと思ったところから始まる。
単に塩分を減らした料理の、美味しく無い事このうえなし、それでハーブを使ったら、シンプルな味付けでも、美味しいものができるのではないかという、そんな目論見からだった。

だがこの本は、単なるハーブの栽培法の本ではなく、単なるハーブ料理のレシピ本でもなく、単なるエッセイでもなく、単なる写真集でもないところが、大いに私の気に入った。

これらの要素のどれが欠けても、これほど面白くはならなかったのではないだろうか。



20189-8.jpg


自前で育てたハーブをふんだんに使った、彼女の料理のレシピは、謂わば彼女の人生の結果であり、彼女の作っている様々な手作りのハーブの生活用品も、彼女の選んできた自分の道の、一つ一つの結果なのだ。
大原に住んですぐに、自分の家から出てゆく生活排水が、用水路を通って、やがては鴨川へ垂れ流しされていることを知った彼女は、合成洗剤を使うのをやめ、自分でローズマリーの食器用洗剤を作ってしまう。
彼女の持っている、言葉で組み立てられた理屈ではない、思想のようなもの、それがライフスタイルへとスムーズに何の矛盾も無く、受け継がれている。

いわば人生でやっていることが、統一が取れている、というのかな。
そういうところに、凄く魅力を感じたのだ。

それに比べて、自分の生活は一体、なんなんだ!って思ってしまう。

一言でいうと、「雑然と、分裂し、混乱している」のだ!

料理はそれほど好きな方ではない。
だからこそ、色々レシピを追いかけたり、新たなことをやってみないと、気が上がらない。
一言でいえば「義務感に追いかけられつつ、やっている」ので、毎日のことなのに、楽しくないのである。

まあ、仕事の時はもう、PCに向いている頭を、後ろに向けた途端に、やるべき家事が待っている、というような生活なので、すさんでくるのは無理もないかもしれないが。

また部屋を見渡せば、それはまあ、デザインを仕事にしているのだから、少しはインテリアってものにもこだわりはある。
しかし!中途半端なのである!
あるいは、それはまさしく、ただの「インテリア」なのである。

古民家に住みたいとは思わないし、彼女とは趣味が全然ちがうけれども、彼女の選ぶ物の一つ一つに、矛盾の無い、丁寧に、本気に、物を選んだ結果を見ることができる。
彼女がやっているのは、ひとつのホーム・デコレーションなどではなく、彼女の「生き方」を「物」に照射して選び抜いた結果なのだ、と思う。

自分の家の物を見渡せば、物一つ選ぶときに、「妥協」しているところが、ありありと見えてくる。
「とことん気に入っているわけではないんだけど」「まあいいか」
「こんな感じを狙ってるんです」「でもとりあえず今はこれでいいです」みたいな声が、何処からともなく聞こえてくるのだ。だからそれはいつまでも「物」以上の物ではない。

気に入ったものが無ければ、作ればいいのだ。

そこまでせずに、中途半端なものの中で、お茶を濁しながら、この年まで暮らしてきた自分。

まるでサイズの合わない靴下や手袋を文句を言いながら使用しているような自分。
私にとって、「生活」は「創造」ではなかった。
少しばかりでもデザインの仕事をしたり、また、俳句を詠んだりという、そういうことばかりが「創造」で、「生活」は面倒くさく、私ではない私がやっているかのような気持ちで暮らしていた。

「生活」の中に「自分らしさ」を、全く生かしてこなかったような気がする。
忙しさを理由に、生活に能率しか追及してこなかったのだ。

彼女のように、田舎暮らしができる運命ではないとしても、学ぶことは沢山ある。
「生活」を「創造」に変えていく楽しみを、彼女は教えてくれるのだ。

ローズマリーの食器用洗剤かあ、ラベンダーと重層のクレンザー!

その本を抱えてデパートの本屋から出て、エレベーターを降りてゆく時、つくづく、何かこういう生活が、大切なものの代償として、あてがわれているような、そんな気持ちになった。

デパートには、いかにも何もかもありそうであるが、本当に欲しいものは、きっとありはしない。

時間経過が刻まれた家具も、ペンキの剥げかかった具合が何とも可愛らしい箪笥も、使い心地の良くなったタオルも、生きている香り高いハーブも、心地よい秋風も、流れてゆく雲の形の千変万化も、

そう、ホントに今の私が欲しいものは、売っていないのだ。












20188t.jpg


野良猫の怯え幽かに秋の風



秋の風ひと数えてる大通り



秋の風我の背丈を計りゆく



少女期に似てくる還暦蓼の花



水澄みて忘れられなきこと多く



水澄みて等身大の我映る









応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

コメント

No title

今晩は。
俳句はなかなか進歩しませんが、恥ずかしがらず続けております。

先日も、恥ずかしげもなく句会に参加して参りました。
カンナ燃ゆ避難区域の無人駅
この句が何と6点句となりまして、ビックリしました。

兼題は「蜻蛉」でしたので、次の句を作りました。
糸蜻蛉つるみて今日の命かな
何とか3点句となりました。何時もネコヤナギさんの句の奥深さには感心してますが、私にはまだ無理なようです。

Re: No title

ナナイロインコさん、こんばんわ。

「 カンナ燃ゆ避難区域の無人駅」

いいですね!パッと見て、もうあっ、いい!そう思いました。

台風に地震、もういつ何があるかわからないという感じですね。
大変な思いをされている方が、沢山いらっしゃって。

カンナの赤が(この場合、やっぱり赤を連想しますね。)
非常事態の緊迫した感じを、ありありと象徴しています。

うーん、インコさん、この句、凄い!

「糸蜻蛉つるみて今日の命かな」
こちらも、糸蜻蛉のはかなさが出ていますね。

インコさん、頑張ってますねー!
「恥ずかしげも無く」、なんて謙遜し過ぎ!



No title

こんばんは。

檸檬の句は、「一灯の如く灯りし檸檬かな」が好きです。

ネコヤナギさんの句はちょっと考える間が必要な句が多くて面白いのですが、この句は実にすっきりと読むことができます。目新しいことはないのですが、「一灯の如く」は、なかなか出てこない表現ですよね。

「野良猫の怯え幽かに秋の風」

この句は、写真と一緒に見ると面白いです。句が先なのか、写真が先だったのか分かりませんが、写真の猫の眼、確かに怯えていますよね。

「少女期に似てくる還暦蓼の花」

これも面白いのですが、ここに蓼の花が取り合わせられている意図をいろいろ考えてしまいます。少女→ままごと→赤まんま→イヌタデ→蓼の花と連想してみましたがいかがでしょうか。

ベニシアさんのことはTVで何度も取り上げられているので、その程度には知っていますが、「わたしには無理だわ」で終わっています。

Re: No title

こんばんわ、桃香さん。
いつも丁寧に読んでくださって、ありがとう。

「檸檬」というと思い出すのが、若い頃読んだ、梶井基次郎の「檸檬」と言う短編です。
主人公が「丸善」という書籍店で、道中買って持っていた檸檬を、何冊かの洋書を色や角度を美的に考慮しつつ、いわばオブジェのように積み上げて、そのてっぺんにレモンを置いて、そのままドキドキしながら出てきてしまう、という話でした。

「黄金色の爆弾」と梶井は表現しています。

わかるような気がします。 あの強烈な色と、そのまま齧ればあの強烈な味! 

この主人公の若者は、若さ故の憂鬱や倦怠を慢性的に引きずっているのですが、通りがかりの果物屋で思わず檸檬を買う、というのが、何となく、わかるのです。

慢性的になった憂鬱というのは、手ごわいです。
何か、強烈な、それでいて悪くない、「刺激」が、必要なのです。

猫の写真は、単に「秋風」の句で、使用するつもりだったんですが…。この猫の視線に魂を吸い取られてしまい(笑)ついつい、そのまんますぎるーと思いつつ、猫の本の幽かな怯えと秋風の取り合わせになってしまいました。

蓼の花イコール少女というのは、もう定番なのであまり使いませんが、還暦の自分が、なんとなく少女めいてくるので(精神的に、ですよ)その辺なら使えるかなと思いましたが、どんなものでしょうね。

ベニシアさんは皆さん知らない人はいないくらいなのに、私はそのころ全く興味が無く、自分のデザインの道を追いかけることにまっしぐらで、テレビも見ませんでした。
ごく最近知って、今の自分でなければ、スルーしていたんだと思います。

出会いというのは、そういうものですね。

ちょこっと目的を達して、また新たな問題や改善したい何かが出てくるんですね。

今までおろそかにしていたものに、少し目を向けたくなるんでしょうね。

Re: Re: No title

追伸です。

そうです、蓼の花で「少女」がありがちというのは、桃香さんの想像しているようなルートを辿っていますね。
非公開コメント

お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR