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九月

九月

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本日の1曲/Pat Metheny with Charlie Haden - Cinema Paradiso




九月来る影を探している光



ひと流る方へ雲流れ九月かな



九月かな皆で歩いているひとり









九月が来ていることを人はなかなか気付かない。

何故ってそれは九月というものが透明だから。

夏に戻ってしまったような日や、台風や、色んな目立った役者が出たり入ったりするものだから、それらの間に挟まれて、ちらりちらりと背景が貌を出すように、静かに透明な九月が、確かに来ているのだけれど。

真夏の夥しい光の海が少し遠のく。
いつの間にか、色濃くなってくる影が、光を捕まえて、深くしてゆく。

西日の射している雑踏がステンドグラスのように輝いて来る時、やっと九月がその輪郭を露わにし始める。

日が落ちて、果実のような夜が深まる。
人々の見ている少し疲れた夢から、行き場の無くなった人影が、そっと抜き取られる。

九月の巨大な船が影たちを乗せて出発する。
船は大きな神殿に到着する。
何も祭られていない神殿。
影たちはそこに到着する。

神殿には無限に続くかと思うような数の柱があり、

祭壇からは筒抜けて向こうが見えている。
向こうは、眩暈がするほどの数の星たちの散乱する、深海のような宇宙があるばかり。

無言で横たわっている銀河。 星々の気が遠くなるような距離。

九月という神殿。








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爽やかや雲は静かに衝突す



平均台の上の林檎の若さかな



カーテンの裾綻びぬ虫の声



口紅を買って戻れば残暑かな



猜疑心月の表を磨きをり



朝顔や子供の欠伸やはらかき



物語始めるように葡萄食ふ








葡萄が好きかそうでもないかは、単に味だけの問題ではないらしい。
私の身の回りの男性は、葡萄をあまり有り難がらない。
「食べるのが面倒くさい」と言うのである。

まあ、蜜柑でさえ面倒くさがる手合いだから、葡萄となればもっと細かい。よほど堪忍袋の緒が切れるのだろうか。

息子も、昔は大好きだった葡萄が、大人になった今は「食べるのが面倒だ」とのたまう。

私なぞは、生粋の面倒くさがり屋にもかかわらず、あの葡萄の一粒一粒から迸り出る、熟成した秋の夜そのもののようなあの味、あの味覚を味わいたいがために、手は自動的に、小まめに、勝手に動いてゆくというものである。

ことさらに意志を使わずとも、きれいさっぱりと無くなってしまうのだから、こんなに楽なことはないのだけれど。
よほど食い意地が張っているということなのだろうか。

普段はものぐさなくせに、現金なものであるが、この手の自動運動というものは、どこかで身に覚えがある。

ああ、あれだ。

何と言うのか忘れたが、壊れ物を梱包する時に、緩衝材として入っている、ビニールの、空気で膨らませた豆みたいなやつが、プチプチと並んでいる、あれ。
宅配便に入っていると、荷物を取り出すのもそこそこに、いつの間にか手が、勝手に動き出しているのであるから困ったものだ。
息子が呆れた顔で見ている。

何はともあれ、葡萄のような味わい深い果実を、面倒だからの一言でスルーしてしまうなんて、こんな勿体ない話はない。

では葡萄が、桃や林檎のように、大きな一粒の果実だったら、美味しいだろうか。

うーん、うーん、いかがなものだろう。
桃のようにジューシーで、美味しいか?

いやどうも、あんまりなあ。

葡萄の美味しさは、噛んだ皮から迸り出る、あのフレッシュな動きと無縁では無いような気がするのだ。

一つ一つの美味しい部屋を訪ねるような、

秋の楽しみ。






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コメント

九月

残暑だ台風だと騒いでいるうちに、いつのまにか九月になり、朝夕は秋めいてきていますね。

九月の詩いいですね。
ちょうど一句目に対応しているような内容で感情移入できます。

俳句では、食いしん坊のせいか

平均台の上の林檎の若さかな
物語始めるように葡萄食ふ

に惹かれます。

体操の女子選手のような溌溂とした姿が林檎のさっぱり感と重なって見えます。
葡萄の句は「物語始めるように」の修辞が面白いと思いました。これからひとつぶひとつぶ味わっていくのでしょうね。

最後になりましたが、この曲は「ニューシネマパラダイス」の曲でしょうか。この映画は3回見て最後のシーンで3回とも泣けました。シチリアにも行きましたよ。

Re: 九月

桃香さんこんばんわ。

九月について、もすこしまともなエッセイを書こうと思っていたのですが、パット・メセニーのこの素晴らしい曲を聴いているうちに、いつの間にか詩になってしまい…(^^;

普段はパット・メセニーはあまり聞かないし、この曲も初めてで、他の人を追っかけてるうちに偶然辿り着いたのですが、九月のイメージにピッタリで。

イタリア映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)の曲で、1988年に公開されたイタリア映画、『ニュー・シネマ・パラダイス』の主題歌のようですね。

私はほんとうに映画音痴なのですが、桃香さんがそんなに感激した映画なら、機会があったら見てみたいですね。

林檎も葡萄も梨も、皆美味しくなってきましたね! どーしましょ!

こんにちは。

Pat Metheny
渋いですね♪

エンニオ・モリコーネにはずいぶんお世話になってますので、余計沁みましたです^^
お世話と言うのは、映画音楽としてですが・・・

しかし、いつもながら研ぎ澄まされた感覚の俳句。
詩人として言葉を磨いてこられたネコヤナギさんならではと、唸っております♪

Re: こんにちは。

NANTEIさん、こんばんわ。

嬉しいなあ。
音楽についてコメントいただくことはとても少ないので。

Pat Metheny のこの曲を聴いて、何かだたっぴろーーい、空間を感じたのです。
ぞーっとするくらい、大きな空間です。

大きな風の束ばかりがうねっている草原や、あるいは荒地のような場所や、

あるいは底なしの宇宙のような、とにかく私的には

巨大な空間めいた場所を感じる曲です。



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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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