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本日の1曲/Eliane Elias - That's All



風ひと吹き千の蓮の葉裏返り



水の星覆ってゆきぬ蓮かな



人形のやうな軽さで蓮の花



蓮の下魚ゐて虫ゐて蛙ゐて


千葉公園へ大賀蓮が咲いているのを見に行った。
三百本咲いているということだったが、まだ満開というほどではない。蕾もたくさんある。

だが蓮の葉の大きいこと、逞しいこと、植物というより動物めいていて、肩のあたりでわさわさと揺れていると、自分が何か小さな生き物のようななったような気がして、その非日常的な感じが、やけに嬉しい。

人が多かったせいもあるだろう。
蓮の花は神秘的というより、「不思議可愛い」という雰囲気。

お昼のバラエティ番組のような快活な音楽を大きな音で流していたのは、どうかなあ。
ちょっとなあ。
別にアジアンな音楽で無くてもいいし、崇高な音楽でなくてもいいから、せめてゆったりしたテンポの音楽にしてもらいたいものだ。

蓮が少し途切れている池に、鴨が三羽、泳いでいたが、柴犬を連れていたおばさんが池のほとりに座り込むと、一斉に寄って来た。
池の縁とはいえ、30センチくらいの低い垣根で囲ってあるから、おばさんはその外側に座り込んでいるのだが、やおらポケットから何か取り出すと、手にのせて、鴨たちに食べさせ始めた。

犬は鴨の方を見ようともせず、悪いことは全くしないで、大人しくおばさんの仕事が終わるのを待っている。

覗き込むと、おばさんの手には、ぎっしりと茶色い豆のようなものが入っている。

「それ、何ですか」と訊くと、

「猫の餌!」と機嫌の悪そうな声が返って来る。

「あー、キャット・フード、食べるんですかあー!」と言うと、

「何にも食べさしてもらってないんだよ!」とほとんど怒ったような声。
見れば三羽の鴨は、右から左から、我先にとおばさんの手にせわしなく首を突っ込み、大変な餌の競い合いだ。

「ほらねっ!お腹へってるだろ!」おばさんはプンプンしている。

こういう人は、きっとこのキャットフードを持って歩いてるに違いない。
その辺の公園や空き地に出没する野良猫たちにも、きっとこうして配給しているのだろう。

そうかと思えば、あちらから歩いて来るおじさんは(いや、おじさんなんていったって、きっと私より十歳くらい若いのかも。)

色んな人を捕まえて、喋りたくてたまらないらしく、何やかにやとまくし立てている。

私が蓮の写真をスマホで撮っていると、「おー、いい写真、とれましたかぁー」と寄って来た。
なんかイタリア人みたいなアクセントだなあ。

「いーえ、写真下手だから」というと、

「写真なんか、ドンドン撮ればドンドンうまくなりますよー!
いいですねー、蓮一杯でねー、
私はね、長く中国にいたんですよー、いいですよー、中国!」

悪い人ではなさそうだけど、思いっきり飛ぶ話についていけず、写真を撮るのに夢中なふり。
まだ喋っていたけれど、諦めてベンチの方へ行って、次の二人連れのおばさんたちに話かけ始めた。

するといきなり、「ガオオオー」
突然至近距離で巨人の鼾のような声が。

「何今の?」とびっくりしている人に、連れが「あれだよあれ、がまがえる!」と言っている。

多分、最近色んなところで、騒音公害になっているという、「牛蛙」という大きな蛙だと思う。
いつぞや早朝にここの蓮を見に来た時、あちこち「ゴオオオオー」「ガオオオー」という声ばかりで凄くうるさく、まるで牧場のようだったことを思い出した。

蓮の下には、色んな生き物がいる。池の中には鯉もいるし、鴨もいれば、亀もいれば、蛙も居る。
肥沃な湿地で、沢山の蓮の葉に守られるようにして、様々な生き物が棲息しているのだろう。

小さな赤ちゃんを連れている若い夫婦もいた。
奥さんが一生懸命、赤ちゃんを蓮の葉の上に持ち上げて、蓮の葉に乗っているように、写真を撮って、と夫にせかしている。
いい塩梅に、めくれかけた蓮の葉を、赤ちゃんの柔らかな手が掴んだ。

はい、パチリ。


その時大きなひと吹きの風のかたまりが、通り過ぎた。

今日咲いているだけで花が三百というからには、葉となれば千枚くらいは軽くあるだろう。
もっと、もっとあるだろう。

その大きく分厚い蓮の葉が、象の耳のように、ゆったりと風に裏返ってゆく。

手前から奥へ向かって、順々に、ゆっくりとめくれあがっては、また戻る。

蓮の葉の海が波立つ、その鷹揚で優雅な、大きな野生の動物のような、動き。

それは実に素晴らしい、眺めるに値する光景だった。








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六月の水に畳まれている日暮



六月のエレベーターにひとりかな



六月や夢の真白き根が太る


六月は明け易いせいだろうか。

眠りが遠浅の海岸のようにうっすらとしていて、何かと目が覚める。

ひっきりなしにあんまり意味の無さそうな夢をみていて、それが砂浜の残留物のように、意識に残っている。

変な夢だった。
でも非常に印象に残っていて、なにか大事なことを言っているような、いないような。
そんな夢がよくある。

今日はいつも行くブックカフェの入っている百貨店の夢だった。
一階の、化粧品売り場のカウンターの売り場で、きれいなお姉さんが、黒っぽいスーツに身を固めて、私に何か説明していた。

実際に売っているのは、化粧品ではないようだった。
何だかよくわからないけど、指輪だの、コーヒーカップだの、なぜかスマホの新機種だの、統一性の無い物が、ひとつのカウンターで売られていた。

説明を受けながら、私は必死で何かを探していた。
何を探していたのか覚えてないけれど、やけに急いでいた。

するときれいな売り子さんが、
「実はね」と言って、「これはお売りできないんですが」と言って、

カウンターの内側に、私を招き入れた。
中に入るや否や、私はびっくり仰天した。

カウンターの内側の、いろんな抽斗やら本立てのような空間には、
南瓜ほどもある大きな球根だの、土に植わったままのほうれん草ぐらいの丈の花の苗だの、クロワッサンほどの大きさの蝉の抜け殻などが、ぎっしりと置いてあったのだ。

そしてカウンターの中の、扉の付いた小さな開き戸をお姉さんが開けると、そこからどっと水が出てきて、ますますびっくりして、目が覚めた。







でで虫や遠くのものを遠いまま



物音も立てず一週梅雨深し



息つめて紙切ってゐる梅雨深し



梔子香池の輪郭が溶ける



五月闇扉開ければまた扉



涙腺を伝わってくる梅雨の星




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コメント

こんにちは。

YOHASU」。「よはす」。

「酔はす」を連想する酒飲みです。

そういえば蓮の茎から酒を呑む「象鼻杯」という趣向もあるそうな。

蓮の茎を通ってくる酒の味は、如何なものか気になります。

毎回の俳句、その数に感嘆しています。
たしかに多作多捨が俳句脳を育てる道と申します。
あとは、残すべき句を磨きこんでゆくことでしょうか。

Re: こんにちは。

コメントありがとうございます。

なーるほど。夜の蓮というだけでなく、「酔はす」という意味をプラスしてもまた、
面白いかもしれませんね。

そうそう、なにかあの蓮小屋?の中で人が並んでいるので何かしらと思ったら、
蓮の葉に飲み物を少しついで、飲んでいたようでしたが。
美味しいかなー? どーかなー?

俳句の数は、実際減らしていますね。一時より4.5句減りました。
でも6.7日に一片の更新ですから、それ程の数ではないですよ。

おっしゃる通り、もう少しいじりたいんです。
あっという間に日が経ち、ああ、次は何で行こう?みたいな。
いけないです。こういうの。

今迷いの只中ですね。

伝統俳句の流れの「わかる俳句」「ツボにはまる俳句」いわゆる「決める」俳句の流れと、
現代俳句の「使い古された表現をしない」「安易に俳句らしくまとめない」流れの中で、

いつも迷うのです。
一句の中の、次の言葉を選ぶとき、それでどちらへ流れるか決まる時。

その時その時の本当に表現したいものは何かという所へ注意を向けて、
一句一句で自然な方へ流そうとは思っています。

一番大事なのは、「自分の言葉で詠めたか」というところかなというのは、軸にはなってますが。

No title

こんにちは。
「六月の水に畳まれている日暮れ」
素敵ですね。
「水に畳まれている」という表現が新鮮ですね。
梅雨のうっとうしさの中、一日が終わろうとしている雰囲気がよく分かります。
多作多捨・・・一向に上達しないのは、詠まないからですよね。頑張ります。

Re: No title

こんにちわ。桃香さん。

ありがとうございます。

「水に畳まれている」は、スッと出てきましたが。
その後が、かなり待ちました(笑)

最後の言葉ひとつで、色んな方向に句が転がっちゃいます。

具象画にしたいのか、抽象画にしたいのか、或いは物や事を浮き立たせたいか、
それとも全体的なモヤモヤした雰囲気を表現したいのか。

今回は抽象画でモヤモヤを表現したかったので、出来るだけ意味の繋がりからは
離れたかったんですが、いくつか出てきた言葉の候補のうち、

妙に纏わりついて来たのが、「日暮」でした。

最初は払いのけていたのですが、意味が繋がってしまうなあと、
「畳まれている」「日暮」ですから、すんなりと繋がってしまいます。
一日が畳まれてゆく感じ、ですね。

それで、意味のすんなり繋がった「日暮」と、他の候補の言葉を暫く放置していると、

「日暮」が勝ちました。(笑)

最初から考えて出来た句ではなく、途中から意味が繋がってしまう句もあるのですが、
意味性があっても、無くても、どちらが句として良いか、或いは言いたいことを言っているか、

そこはその時々の判断ですね。

「六月」と「水」はそもそも近すぎるかとも思いましたが、そうやって削って行って、
最終的にいいものができるかどうかは、わからないし。

自分の句全体に、もう少し統一感を持って作っていきたい、という気持ちと
スタイルにこだわりすぎると、そもそもの詩心のようなものが痩せる、という気持ちと

両方の狭間で、迷いつつ作っています。

桃香さんのは、一向に上達しない、なんてことはないです。
切り取る力とまとめる力が元からある感じがしました。

多分、色々読まれてらして、俳句の呼吸みたいなものが
体内にしっかり根付いていらっしゃるのではないでしょうか?



No title

大賀蓮を観に行かれたのですね。それにしても蓮の生命力はすごいです。縄文時代の蓮が現代に蘇るのはまさにロマンです。

そして素晴らしい句が出来てしまうなんて実に羨ましいです。

蓮の下魚ゐて虫ゐて蛙ゐて

感動しました。

Re: No title

コメントありがとうございます。

ナナイロインコさんも同じ県内ですね。

蓮を見る度に、「逞しいなあ」と思います。大きくて厚い葉、力ありそう。(笑)

お褒めに預かり恐縮です。

あの句は、「ゐて」というのが三回も入るのですが、
「いて」にするか「ゐて」にするか迷ったんです。

「ゐて」の「ゐ」の、字面が、なんだかみみずとかトカゲとか虫みたいで、
じっと見てると動き出しそうな感じがして、この句の中ではいかにも生き物めいていたので、そうしました。

蓮の逞しい葉の下で、色んな生き物がごちゃごちゃ生きてて、
それを取り囲む人間も色んな人がごちゃごちゃいて、

蓮はそ知らぬ顔で、皆を楽しませたり、守ったり、しているようでした。
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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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