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噴水

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本日の1曲/辻井伸行 ラ・カンパネラ


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青葉風閉じた瞼の中までも



女形のような首筋花菖蒲



花菖蒲色動かせぬ景色かな



ジギタリス落ちてくる夕陽のシャンデリア



鐘の音のこだまが返るジギタリス


ジギタリスという、何だか豪華絢爛でちょっと毒々しい感じの花の名の、和名が「狐の手袋」だと知ったのは、つい最近のことなのだ。

拍子抜けしてしまうというか、花の様子を見れば、なるほどとは思うけれども、随分とイメージに落差がある。
小さな鐘をたくさん集めて、典雅な塔にしたような花の形だけれども、あの袋型の花に狐の手がすっぽり入る様を視覚的に想像してしまうと…可愛いけど笑ってしまう。
でもやっぱり、「狐」というところに一抹の怪しさがあるというわけなのか。

「ジギタリス」ならば俳句になるけれども、「狐の手袋」ではちょっとなあ…。興が湧かないなあ。(笑)
俳句って日本語で作っているのに、なんか色々と複雑な事情もあるんだ。

ジギタリスは実際にかなり毒を持っている植物で、でもイングリッシュガーデン風のこんもりとした緑の植え込みの中に、美しい塔のようにスクッと咲いている姿は憧れだ。

それにしても植物の正式な名前というのは、メジャーなものでなければとても覚えにくい。

自分は今までは仮初のガーデナーだった。
3階の自宅のベランダでは、大きめの植木鉢がいくつもあり、それなりのものが植わっているのだが、水こそやるけれどもという程度の仮初ぶりで、肥料なんかやらないし、剪定なんてしないし、切り戻すなんて、咲いてる花が可哀想とか、雑草と共存しているのもナチュラルとか、すっかり螺旋が伸び切って、菜の花のごとく伸び切ってしまった葉牡丹を、寄せ植えから抜き難く、そのままうっちゃってあるとか。

このようなことをしていると、一見花を憐れんでいるようであるが、徒長してどんどん格好悪くなり、花付きもわるくなり、最初の美しさはあっという間に失われるので、自分もどことなく白けてくる。

そうなるともう水やりも義務感となり、命あるものなのだからなんて言いつつ、寄せ植えを作ったばかりの瑞々しい感動からは遠く、植えてしまった成り行き上、何の情熱も無く花を育てているのだ。

それでも季節が変われば、枯れてしまった花を引き抜き、また色々と配色を考えて、新たな季節の花を植える。
だがあとは、おおよそ似たり寄ったりの事を繰り返していた。

今回必要があって、一階のいわばちょっと公的なスペースに、植栽をすることになった。

畳一畳半くらいのスペースではあるが、すべてコンクリートだったところに、わざわざ穴を開けてもらって本物の土が顔をのぞかせている、貴重なスペースだ。
その前は土の部分は無かったので、大きめのコンテナと、いくつかのハンギングで花を育てていただけだった。
しかし…穴を開けてもらってから、かれこれ三年くらいは立ってしまったような。
この悠長さがホントに家らしい。もうー。

だが建物の間に挟まれているから、日照は全然ないわけではないが、限られた時間のみ。
風通しも悪そうだし、環境がいいとはとても言えない。

花と言っても、日照がはかばかしく無ければ難しい。
低木や宿根草のうち、常緑のもので、際立った色の違うものを集めて、言わばカラーリーフの、リーフガーデン風にするしかないだろう。

完全な葉物ばかりでは味気ないから、宿根草の地上部だけが冬に無くなるような花物を二、三種類入れよう。

そこからは本やPCに首ったけで、低木や宿根草の性質や姿を調べまくった。

だが困るのは、今調べた花のその名を、頁を移動すると、もう覚えていないことだった。
それは洋名(学名)なのだけれど、マホニアコンフィーサだとか、ヒペリカム・ヒデコートだとか、グミ・ギルドエッジとか…。舌を噛むような名前ばかり。
画像検索して、色んな植栽後の姿を見ようと、検索欄に名前を打ち込もうとすると、頭が空白に。

しょうがなくてコピペして事を運んだが、マホニアコンフィーサは、和名だと細葉柊南天、グミ・ギルドエッジはナワシログミ、ヒペリカム・ヒデコートに至っては、金糸梅。
「金糸梅」?
なーんだ、それってこの花なんですね、というどこかで聞いた覚えのある名前ばかり。

そしてやっと植える植物が決まり、発注し、半分くらいはは植え付けも終わった。

しかし植木鉢ガーデニングしか経験のない自分には、本物の土を相手にするのは、頭で考えていたこととは随分違って、大いに骨が折れた。
大体が、長年コンクリートの下になっていたのだから、土は堅く硬直していて、その上にいい土を乗せるにしても、まずその下の土から少しは改善しなくてはならなかった。

男手を借りるべきところは借りて、まず土と格闘した。
植えるにしても、地面の高さというのが、膝の悪い自分には、結構難儀な高さだった。
膝をつくわけにもゆかず、変てこな中腰でやったので、次の朝の膝は悲惨だった。

そもそもシンボルツリーなるものを植えるはずだったのだが、余りにも燐家に近く、大抵の木の枝はにべも無く燐家に侵入してしまうだろうというので、諦めて、諦めたまま放ってあったのだ。

コニファーなら枝が横へ張らないが、突然立ち枯れてしまうことがあるので、シンボルツリーにはどうかなあ、と躊躇していた。
シンボルツリーというのは、枯れるとどうもいい感じがしない。

しかし人間、諦めたら諦めたでまた、違う理想を見つけなければならない。
でなければ小さな空き地はいつまでも無残に空っぽなままだ。

そこで考えたのは、大きなシンボルツリーは諦めて、人目を高みに誘う、洋風の街灯風のソーラーライトを立てること。
そしてその両脇に、片方はあまり大きくならないコニファーを、もう片方には明るい黄色の斑入りのグミ・ギルドエッジの低木を。
コニファー一本きりのシンボルツリーでなければ、たとえた立ち枯れても、気分が違う。気軽に変えられる。

その両隣には、斑入りの繊細な葉を持つアベリアを、少し低めに剪定しながらこんもりさせてみよう。
そして前景の足元は、カラーリーフで埋める。
モクビャッコウ、ロニセラ、ヒューケラ、アジュガ、ヤブラン、そんなところか。

間に、アナベルという紫陽花に似た白い花を入れ、手前には紫のサルビアを少し。
グミ・ギルドエッジの斑の黄色がかなり強いので、花壇全体の色は黄色、白、ブルー、紫系統でまとめたい。
ヒューケラの赤紫までで抑えて、赤やピンクの花は出来れば避けたい。

街灯風のソーラーライトは成功だった。
写真を見ただけの、ネット通販だったから、実物は安っぽいだろうかと警戒したが、そうでもなかった。
両側に植栽すると、ほれぼれするような風情があった。
縁は煉瓦だが、モルタルを使わなくてよい、今流行りのブロックのように組み立てられる煉瓦。
煉瓦とライトの相性が良かったのかもしれない。

土や木の苗達と格闘し、その未来の姿を思いつつ植栽を半ば終える頃には、私はもう仮初ガーデナーであることをやめる決心をしていた。

ここに植えたもの達は、低木とはいえ成長は早いから、もし剪定も満足にせずに放置したら、たちまち酷いことになるだろう。あっという間にジャングル化して、通る人たちの邪魔になるだけなのだ。それでは何もやる意味がない。

剪定し、肥料も施し、水も切らさぬよう、毎日様子を見に降りてこよう。

インテリアを色々と工夫するのが好きだった。この頃はまあ、おざなりと言えばそうなんだけど。
手織りも好きだった。不器用だけど、不器用なりにできるし、縦糸と横糸の混ざった時の予想できない色のハーモニーには、心を奪われた。だが、車でないと、織機を運べないので、今は訳あって、止めざるをえなくなった。

ガーデニングは生き物が相手だ。
どんなに忙しかろうが、疲れていようが、水をやらなければだめになってしまうし、思うようにならないこともどんどん出てくるだろう。
でも生き物が相手だからこそ、他の事では味わえない、どっしりした充実感を貰えるのだと思う。

それから、否が応にも一種の肉体労働だから、そこで何かが、ストップする。
抱えている問題、日々の中の小さな欲求不満。
色んな脳味噌の中の雑音が、一時的にストップしてくれる。

風と光と植物。   あとは何もない。

そういっては身も蓋もないけれども、グッド・デザインの家具も、巧緻な細工の工芸品も、


生きているものの美しさには、適わない。






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コメント

No title

私も膝が悪いので工夫をしています。草取りや土いじりをするときは、小さな椅子をもちあるいています。膝をつかなければいけないときは、ズボンの上から作業用のズボンをはき、家に入るときにぬぎます。しゃがむのはひざに大きな負担をかけるようです。歩くのも困難なほど膝を悪くした経験があるので、心配になってコメントしました。無理をせず、ゆっくり楽しんでください。

No title

追伸
これからの季節は、ズボンを2枚はくのは暑いので、膝あてを購入されてはどうかとおもいます。

Re: No title

コメントありがとうございます。

そうですね!やっぱりなにか小さな椅子みたいなものが必要ですね。
大きめの植木鉢というのは高さがあるので、ずいぶん楽だったんだなあと思います。
地面に屈んで「こりゃヤバイ」と思いました。(笑)
しゃがむより、膝をついてしまった方がいいんですね。確かにそうかもしれません。

私も以前、膝の炎症で歩けなくなった時がありました。
その後、足の筋肉を鍛えれば、膝の関節にダメージがあっても、筋肉が吊ってくれるので、痛みが軽くなると言うのを知り、毎日のように、寝た姿勢で足を上げるようなエクササイズをしたのです。
(よくある、仰向けで足を植えに上げるやつではなく、横向きに寝て、上になってる足を、横に突き出して、15秒程度静止している、というものなんです。)
そうしたら、本当に改善しました。5,6年はあまり膝を意識しませんでしたね。

でもこの頃、すっかり怠けていたんです。
そこへ商売柄、PC に座りっぱなしが多くなったら、坐骨神経痛とか言うのが加わったので、足全体の血行が悪くなり、膝も影響を受けたみたいですね。
仕事の途中でも家中を歩き回ったり、意識して歩くようにしたら、少し改善はしてきました。

膝当てと、何か小さな椅子を買いに行きます!

タラママのお庭の紫陽花は、凄い数で、羨ましい。
でも、剪定も大変ですね。

そのうち、挿し木なんかにも、挑戦したいなあ。


こんばんは。

写真の切り取り方もそうですが、
音楽の選択もなんとセンスの良いこと!

クラシックの小品からしっとりしたPOPSまで、
幅広い趣味をお持ちで♪

私の音楽は滅茶苦茶です。
それこそ古典から演歌まで(笑

バッハでウィスキーを呑み、
クールファイブで清酒を呑む。。。
われながら訳がわからんです^^:

俳句もなにもかもツマミ食い状態で、
自分不在のまま人生を終わりそうですが、
ま、そんなもんだと思うようになりました。
一つの諦観でしょうかね(笑

ところで、ネコヤナギさんのブログで、
とても感じ入った句があります。

「若ければ見えぬ行間春燈」

私、俳句を始め表現についての感想文、
もっといえば批評文が最も苦手な人で、
「良いものは良い」という、
幼稚な言葉だけで物を判断してきました。

いってみれば、一種の言語不能者ですかね。
なので、
アホを申し上げること多いと思いますが、
目を瞑ってお付き合いくださいますよう。






Re: こんばんは。

こんばんわ!コメントありがとうございます。

ツマミ食いなら私の専門分野です。
限りなくジャンルを無視して、好きなように動くので、決して一つのジャンルでの見分は深くなりませんね。
でも「良いものは良い」ですよ、やっぱり!
何か、俳句でも音楽でも、自分との「縁」みたいなものはあるかもしれませんね。
いくら評論家が褒めてても、自分の横を素通りしてゆくものはそれまでなんです。

「若ければ見えぬ行間春燈」は、若い時は俳句作品そのものにしかあまり興味が無かったのですが、
この頃は俳人の生活とか運命とか、まあ人生の苦楽みたいなものを、短い句の行間の中に感じ取れるようになった、そんな風に思います。

俳句に表れている総体的な人間の輪郭を見ると言うか、いえ、逆に総体的な人間が表現されていない俳句はきっとないかもしれませんけど。隠喩であろうと、シュールな現代俳句であろうと。
きっと、その時その時の自分のかけら、なんだと思います。

あと、シンプルな句も好きになってきたので、そういう意味合いもあるかもしれません。
昔は気がいきませんでした。つまらない、と思っていましたね。



千葉公園、昨日一度見に行きました。
まだ開いている花の数はまだそれほど多くなかったので、今日公園に電話しました。(笑)

すると、昨日91本開花、今日は120本と言っていて、まだウワーっと咲いてるという感じではないそうです。
なので、もう少し待ってみようと。毎日電話します(笑)

せっかくなら、どっと咲いている蓮の花の只中に埋もれてみたいじゃないですか!
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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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