紫陽花

紫陽花

20186c.jpg
本日の1曲/Eva Cassidy - Imagine


紫陽花に人の眠りのまだ重く




紫陽花や雨が雨の韻を踏む



紫陽花に乾ききらない髪束ね



朝刊に雨の匂いや紫陽花咲く



紫陽花や水の中にある廃市



紫陽花や夜から朝へ境無し



「夜」と「朝」とでは雲泥の違いだ。
でも、これほどにまでに違うものが、本当には境界線の無い、ひとつのものだ。

未明というそのあわいの時間の美しさを、そのまま花の色にしたような紫陽花。

言葉は色々なものを切り取る鋭利な道具だ。
鋤や鍬、シャベルや熊手やナイフや包丁や鋏やアイロンのように、
それは私達が私達であるために必要不可欠な道具。

コップ一つさえなければ、水を飲むことさえできない。そんな風に。

でも夜と朝は本当はひとつづきのものなのだ。

「愛」と「憎悪」、「成功」と「衰退」、「不安」と「希望」、「生」と「死」。

それから「言葉」と、そして「言葉でないもの」も。

絶えず揺れている、その「あわい」、
そこに浮遊している不確かなもの達を掬い取ろうとしている、

それが詩というものなのかもしれない、そんな風に思う。








応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村









ガーベラや窓に映っている青空



ガーベラや非常階段降りる夢



未来から来たかもしれず雨蛙



雨蛙いつからそこに長電話



万緑の戦っている千里かな



ハンカチほどの海見えてくる車窓



決めかねていること多く走り梅雨



大輪の薔薇日向から日蔭へと



薔薇散りぬ考え事をしてる間に



この薔薇は素晴らしい大輪の、大事な薔薇。大切に咲かせた薔薇。
そうは思っていても、何かに夢中になっているうち、ふとした弾みで散ってしまう。

この人は大切な人、他の誰かとは決して交換できはしない。
どんなにそう信じていても、いつの間にかひとつづつ言葉が通じなくなり、ある時反対の方向へ向かう電車に乗ってしまうことはあるのだ。
信頼のシーソーが動かなくなる。
それは片方が地面に沈んだままだ。

大きな無機質な擦れ違いの回転ドアが、ひっきりなしにばたついていく。
鋼でできている蝶のように、それは頑丈だ。

頑丈な無理解の通路。
届かなかった叫びが煙草の吸殻さながらうず高く積っている。

コーヒーを飲んでいる間に友人が病気になる。
洗濯物を干している間に誰かが離婚する。
恋人と会っている間に、一人で亡くなってしまった祖母。
テレビドラマを見ている間に、いなくなって帰ってこなかった猫。

現実は不格好で、いきなりストーリーが途切れる。
理不尽なアスファルトで覆われている。
一つの宇宙は他の宇宙からの死角になっていて、
決してクロスしない時もある。
小説やドラマのように、充実した結末が来る前に、
ふとした弾みで何かの間違いのように
中断される筋書き。 掻き消されてしまう台詞。

だから、急がねばならない、

何を?

急いでどうしろというのだろう。

洗濯機のドラムがグルグル回る。
私の回りで世界がグルグル回る。

私だけが止まっている。
私だけが静止している。

私まで、回ってどうする。
虫に食われて空っぽになっていた自分を
探しに行くこと。陽に当てること。

他にどんな方法があるというのだろう。

私から遅れず。
私から先走らず。


今のままで。 あるがままで。


今日という日。








応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村



スポンサーサイト

コメント

こんばんは。

千葉公園の大賀蓮、そろそろ見頃でしょう。
毎年、6月の半ば頃に訪れていますが、
来週あたりから楽しめそうです。

蓮は雨後がいちばん美しい。
大きな花に、またうてなのような葉に、
雨滴が浮かびまた銀蝋のように溜まる様子は、
雨上がりならではと思います。

池畔に瀟洒?なカフェがあります。
蓮見の後たまに、ここでぼんやりしています^^

明け方までお仕事なさることが多いとか・・・
自由な反面、時間配分がたいへんかと思います。
ありきたりですが、お体たいせつに。


Re: こんばんは。

わあー!
わざわざありがとうございますー!
来週行ってみます。

雨の後ですね。雨の後で晴れてたりなんかすると、特にいいんでしょうね。
週間天気予報と相談して、行ってみます。

瀟洒なカフェ?ありましたっけ。
気を付けて見ます。

いえもう、こういう生活からは足を洗おう洗おうと思いつつ…。
「明けやすし」な6月なんて、すっかり白々としてきて、「ああ、寝ないと寝ないと!」みたいな、もうほとんどドラキュラですね。

No title

すっかり落ち込んでしまい、長い事ブログを放置してました。
本日子猫をお迎えしましたのをきっかけに、立ち直れればと思います。

昨日句会に行ってまいりました。

愛鳥を見送りて今朝の沙羅の花 鸚哥子

初心者ながら何とか続いてます。いつの間にか、始めてから一年半たってしまいました。

Re: No title

コメントありがとうございます。

なないろいんこさんのブログ拝見して、さぞ気を落としていられることと思っていました。
ご自分を責めていらっしゃるだろうなと。
あえてコメントは書きませんでした。
人に何を言われても、ああいう時、心はいつも、自分のところに戻って来てしまうから。
 

いい句だと思います。沙羅の花は釈迦にゆかりのある花でもあるし、何より清らかな、わだかまりのない雰囲気が、なないろいんこさんの現在の心を、引き寄せてくれているんだと思います。

特にこの句の中で重要なのは、「今朝」の一言で、たったこの一言がそこへ来るまでのいんこさんの、心の葛藤の時間の経過を感じさせます。
今朝になってやっと、清清しい白い花が心にスッと入ってきて、もしかしたらまだわだかまりも少し残っていても、その沙羅の花の無垢な白さに導かれるように、心を寄せることができた、そんなことが、この短い言葉に込められていると思います。

私達はいなくなってしまったものを、忘れません。
いえ、忘れようとしません。
お墓も作れば、お参りにも行くし、たとえそういうことをしなくても、心の膨大な襞の中に、ちゃんと組み込んで生きていくのだと思います。

でも一方、いなくなってしまったものの方は、もうそういう「個体性」というか「個別性」を持っていないのだと、思います。

何か大きなエネルギーの流れのようなものに還元されて、また違う、新たな形や生命になって、「縁」という、磁力のようなものを感じる場所に、再び流れ込んでくる、そういうこともあるかもしれない。

最近ですね。そんな様な事を考えるようになりました。
非公開コメント

お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR