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今日の1曲/Maxence Larrieu 「亡き王女のためのパヴァーヌ」


雪降って祈っている屋根また屋根



雪降りぬ何巻もある物語



雪降って言葉の隙間埋めてゆく



雪積むやひと日ひと日のうへへまた



雪降ってゐる過去の中今の中

子供の頃は、雪が降ればそれだけで興奮したんだから、今思えばたいしたものだ。
雪が積もるのが珍しい関東だからということもあるだろう。

雪がやんだら、もうじっとしてなんかいられない。
とにかく外へ行く、とにかく何をしてみたって面白い。

踏んで歩くだけで面白い。
触ってみる、落としてみる、蹴ってみる、齧ってみる、描いてみる、捏ねてみる、投げてみる。
小さな雪だるまはすぐできる。
近所の子供もいる時は、雪合戦のような運びにもなった。

だが、最終的に誰かが言い出す遠大な思い付きは、ほらあれ、「かまくら」というやつである。
雪国の、こんもりと大きな、お家のような、「かまくら」。
中でおやつを食べたり、遊んだりしている絵や写真を見るにつけ、「面白そう」「楽しそう」と憧れに胸躍らせる。

兄と私と弟と二つづつ年の飛んでる三人兄弟だったんだけど、上二人小学生、下幼稚園くらいだったんだろうか、何度かその思い付きにチャレンジしたものだ。

最初の頃の勢いといったら、天まで届くかというような意気込みで始めるのだが、いかんせん子供の体力と持続力では、残念ながらに最後まで志を成し遂げられたためしはなかった。積雪の量からしても、かまくらを作るには心もとない。

最終的には、自分の身長にさえまだまだ届かぬような、雪だるまでさえない、不思議な、無目的な雪のオブジェを原っぱに唐突に残したままに、お腹がすいたり、暗くなってきたりして、帰ってしまうのだった。

しかし長じても、やってることは大して変わらなかったような気がする。
若い頃には、随分とこの途中放棄「かまくら」まがいの事をしていたものだ。

さて還暦も目前というこの頃になってふと考えれば、さすがに少しは前進していることに気が付く。

というか、大人になると時間が圧倒的に少なくなるから、あれこれと「かまくら」を無意味に作り始めることをセーブして、できそうにないことには、初めから手を出さなくなっただけのことかもしれない。

大きなかまくらは、とりあえずひとつ作り終えた。
小規模ではあるが、50代になってから、デザインの仕事ができるようになったこと。

だがこれは、入口だった。

つまり、このかまくらは、入ってみると、「トンネル」になっていて、奥へ奥へと、延々と続いているものだったのだ。
仕事なのだから思えば当たり前なのだが、その先は新たな試練のジャングルだ。

いやいやこれに限らず、きっと私にとっての、あの「かまくら」みたいなものっていうのは、たいがいこういうことになっているに違いないのだ。

「やったー!」「できた!」「やっとここまで来た!」

ゴールだ!と思った、そこからこそが、新たなスタートラインになっているのだ。







寒菊や一度決めたらかヘりみず



山眠る海空眠る人眠る



枯木立あるく速度でかんがえる



寒の星小さな予感的中す



冬の梅プラトニックのままで暮れ



寒月や待っていたらば湧かぬお湯



寒燈の鏡にありぬ夜半かな



蜜柑剝くあの一言を思い出す



昔から我を知ってる冬木かな







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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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