FC2ブログ

寒・寒晴れ

寒・寒晴れ

20181d
本日の1曲/Yo-Yo Ma, Chris Botti - My Favorite Things



寒晴れに骨まで照らされてをりぬ



寒晴れや自分に嘘をついていて



寒晴れに吹奏楽団通り過ぐ



非常階段降りて眠りぬ寒の夜



寒切り分けてひとりゆく夜道かな



戻れない戻らない寒の道



瞬きもせずにひと夜を寒の月



身ほとりに争いばかり山茶花散る



割り切れぬままに白菜割っている



吉という字のなる如し実南天



身の重さ身で持ち上げて冬暁



水仙香毛細血管透明に



加湿器の煙真っ直ぐ松の内



コート着る我の影着る如く



コートを買いたいと思っている。
今持っているどのコートでも、夜帰宅するおりに、寒いのだ。
もう少し厚手のウールか、やっぱりダウンか。

しかしダウンも、姫達磨みたいになっちゃうしなあ。
今はそうならないようなおしゃれなダウンも色々研究されてはいるが、ウェストをシェイプすればしたで、お腹のぱちぱちぶりが却って目立つし、太って見えないような薄手のダウンじゃもとから意味無いし。

どの店に入ってみても、中々探しているようなコートは無い。

この「寒」に対抗できるほど厚手ならば、ふくよかに見えないというのは、よほど研究されつくしたものでなければ無理と言うものだ。尚且つお値段もこなれてなければというのだから、「要求が高すぎる」のだ。

それから、探しているのは、「私らしい」コートだというのだから、これまた中々にあるものではない。

着てみる、鏡の前に立つ、その時に、まるで前から着ていたような、しっくりいく感じ。
これまた中々あるものではない。「要求が高すぎる」のだ。

普通の服だったら、ここまで要求は厳しくない、のだ。
「普通の服」というのは、セーターやトレーナーやスカートやワイドパンツなどのことであるが、これらは言うなれば取り換えのきくエキストラようなものだ。

しかしコートというのは、少し次元が違う。

それは私の代名詞のような服で、私がコートを着ると、コートは私を守ってくれる。

どんな風に守るのか、寒さから守ってくれるだけではない。
コートを着ると、コートは私が持っている悲しみや戸惑いや落胆や苛立ちを、それとなく包み込んでくれるような気がする。

これはきっと、悲しみや落胆や苛立ちが、体に溜まっているからなのだろう。
厳しい寒の外気から私の体を包み込んでくれる時、心の中の負の要素達をも、ふわりと包んでくれるような気持ちになるのだ。

それは「悲しみ」や「落胆」は心であり、体とは違うと思っている、そういう考え方はすでに野暮で、実は心と体はひとつものなのだという、そういったことを如実にに物語っているのだと思う。

だって、そりゃそうだ。

身体が無くなれば、心だって無くなってしまう。
何かがもし残るのだとしたら、それは「個」と言う状態を超えているのではないだろうか。

コートは寒さから私を守ると同時に、同じ温度と仕草で、私の「個」を守ってくれる。
コートは様々な荷を持った、人々の「個」を包んでいる。

だからコートは大人に似合うのかもしれない。






応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村



































スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR