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初春・去年今年

初春・去年今年


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本日の1曲/千住真理子 「主よ、人の望みの喜びよ」J. S. バッハ



初春のまだ知らぬ我がどこかに



初春やいつも通らぬ道を行く



去年今年貫く特急列車かな



少しづつ変わる景色も去年今年



ワイングラスの中のキッチン去年今年

なんだかんだ言っても、主婦の年末年始は、キッチンに終わり、キッチンに始まる。
年末一週間は掃除に明け、掃除に暮れ、普段放棄をしている箇所が多いので、当然その報いは大きく、体力の減少も相まって、それはもう意志の力をフル活用しなくてはならない。
大体が、大まかな計画を立てても、やっているうちにどんどん新たな良からぬ発見があり、やらねばならぬ場所が増えてゆく。
また、例えば食器棚の中のように、ここはなんとか目をつむって行き過ぎてしまおう、と思っていたのに、いざとなると、「むらっ」といらぬやる気が芽を出して、手をつけてしまったら、もう最後までやるしかない。

そんなだから、今年はスムーズに行くだろうなどと高を括っていたものが、結局後へ、後へと押してゆき、簡単なお節料理を作る時間は、結局大晦日の深夜になだれ込む。
10時半頃から、大根なますを作り始めるが、家族がかなりの分量を食べるので、大根1本半くらいは使う。
しかも自慢じゃないが手先は滅法不器用なので、大根の細切りを満足のゆくように切り終わるには、相当時間がかかってしまう。
しかし不器用な自分に対して、拮抗するように、堅牢な意志も出そうと思えば出るので、なんとか家族が満足するだけの大根の細切りは、無事に出来上がる。

人参も混ぜ、甘酢に漬け、柚子の細切りを入れる。
うちのなますは塩をしない。いってみれば「フレッシュサラダなます」だ。
その方がお節料理の中で、ちょっと歯ごたえや爽やかさが異色で家族に喜ばれるし、塩分という観点からしても、健康的だ。

そうこうするうち、年が明けそうになる前に、年越しそばを作って、慌ただしく食べる。

最近近くにお寺さんが無くなり、風向きによっては、除夜の鐘の音も聴こえなくなってしまった。
一日フル労働していたために、疲労困憊した状態で、「あー、そろそろカウントダウンしているねー」などとさしたる感激も無く年明けを迎え、結局炒り鳥ときんとんを作るのは、新年になってからという有様だ。

だから、私にとって、年末は「駅伝マラソン」のような過酷な毎日なのであるが、この駅伝は、バトンを渡す次のランナーが、他ならぬ自分であるということが、最も過酷であることの所以なのだ。

そして朝4時頃やっと寝床につき、「ああ、今年も何とか終わったー!」などと思いきや、そうでもなく、次の元旦の朝は、これはこれでパン食の朝食に比べたら、雑煮を作りながら、お節を非日常的なディスプレイでセッティングしなければならない、という激務が待っている。

そしてやっと、食事を始める、この時初めてまずはほっとする。
やれお餅が焼けたか、白髪ネギは何処だとか、柚子を入れたかとか、お茶も欲しいとか、スプーンをとってとか、こういう細かな期待に応えながらも、もうここまで来れば大きな山は越している、という気持ちになっている。

お屠蘇のワイングラスに、後ろのキッチンが映り込んでいるのを、実に満足して、見る。

ここまでしなくてもいい、或いはしたくない、という気持ちももちろんあって、思案もするところなのだが、去年私は、ある理由で年末年始の家事を全くやれなかったのだが、そうしたら、正月というものが、非常に希薄で、殆ど無かったのだ。

私は驚いた。正月というのは、やることのいかんに拘わらず、「元からある」ものだと思っていたからだ。

確かに世間一般には、普通「正月」というのは、元から、厳然としてあるのかもしれない。
しかし私にとって、正月と言うのは、大きな一括りの、抽象的なものではないのだ、ということが、しみじみとわかったのだ。

私は私を、家族思いの良き主婦だなんて、微塵も思っていない。
主婦として生きるには、最も不向きな女なのではないかと思っている。
その証拠に、何十年ぶりかで会った若い時の友人が、何度も言ったものだ。
「結婚、しないかと思ったよー」「子供産まないと、思ったよー」・・ハイハイ。

でもそんな私の不器用な手が意志の力に引っ張られ、辛抱強く切り続ける大根なますとともに、「正月」がやって来る。
小さかった息子が喜ぶから、バターと牛乳でサツマイモを煮るのが定番になった洋風きんとんとともに、「正月」はやって来る。

いつも放棄しているがために、余計に感動する、磨かれた窓ガラスから迫って来る風景とともに、「正月」はやって来る。

玄関や窓辺に飾る、ささやかな千両や水仙の周りの淑気から、「正月」はやって来る。

「神は細部に宿る」じゃないけれど、こうした小さな生活の片鱗ともに、確かにそこには大きな正月、というものの気配が、立ち現れてくる。

「自分でやったこと」の集積が、正月となって、自分に返ってくるのだということを、私は知ったのだ。




葉牡丹や自堕落を許してをりぬ



破魔弓をひとりで持ちて向かい風



水仙や水に乱れている光



悲しめば悲しみ終わる寒の星



寒星や遠きもの何故懐かしく



煎餅の音立てている初日かな








明けましておめでとうございます。
本年もまた、どうぞよろしくお願いいたします。






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いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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