FC2ブログ

クリスマス・聖夜

本日の1曲/Lauren Daigle - Silent Night

聖歌隊の透明なソプラノのSilent Nightもいいけれど、掠れた声をそのままに、誰かのお母さんやお姉さんが、ひとりでお料理しながらふっと口ずさんでいるような、こんな飾らない声のSilennt Nightもいい。


クリスマス・聖夜



201712d.jpg


まだ何か信じていた頃聖夜かな



行く人の荷物多くて聖夜かな



この頃はあるかなきかの聖夜かな



夢という重労働をクリスマス

日本のクリスマスについては、色々な言い分があろう。
支柱となる宗教的な裏付けも無いのに、戦後欧米のムードだけを無思想に受け入れたとか、商魂逞しい高度成長期の仕掛人達にまんまと乗せられて定着してしまったとか。

確かに日本のクリスマスは、飾りつけひとつとっても、安っぽい。
全体的に見て、とにかく安っぽいイメージがある。
欧米のクリスマスは宗教的な裏付けがあるから、とにかくもっと厳かなものが、核となる部分にはあるだろう。

とは言え、歴史的にみれば俄作りのイベントであっても、大事なひとにプレゼントをし、子供たちはその日を指折り数えて待ち、多忙な人々が平和と愛情にしばし注意を向けるというだけでも、それはそれで価値のあるものなのではないか。

自分は子供の頃、教会に行っていた。
いわゆる「日曜学校」というやつで、幼稚園にあった教会に、そのまま小学校へ入っても、日曜日に通っていたのだ。
何故行っていたはよく覚えていない。一種の成り行きみたいなもので、通っていたのだろう。

自我というものが芽生えて批判精神が首をもたげてくるとともに、やめてしまったが、子供の頃は、何一つわからずとも、宗教的な雰囲気というか、教会の聖堂に漂っている、厳かで静かな深い沈黙のようなものを、体中で吸収していた。
それは子供心に、青空や木漏れ日が深くいきいきと刻み込まれるのと一緒で、そこに「ある」ものを、スポンジが水を含むように、ストレートに吸収してしまうのだ。

讃美歌の朴訥なメロディと、オルガンの響き、行けば毎週もらえるキリストの言葉が一つ書かれた、綺麗な絵のカード、そこでは憂いに満ちた長髪のキリストや美しいマリアが、襞のたっぷりある演劇的な服を纏って、天を仰いでいる。

少女というのは、憧れを食べて生きている。
憧れと言うのは、未知への郷愁だ。

日本で宗教と言えばお坊さんの黒い袈裟や、ハナマルキの小僧さん、既にあるそういったイメージ達に比べたら、雲泥の差でロマンチックなのだった。

そしてクリスマスイブには、「クリスマス会」というお楽しみ会があった。

教会での礼拝の後、幼稚園の教室で、讃美歌を歌ったり、キリストの生誕劇を子供たちがやったり、他愛ないことしかしないのだが、子供の頃というのは、夜ひとりでは外出できないから、こういう「特別な日」は、理屈抜きでどきどきするのだった。
送ってもらって、そして会が引ける頃迎えに来てもらう。

そういう日は、冬の一番いい服、紺か黒の、ビロードのワンピースを着て行けて、とにかくそのビロード、というのが素晴らしいのだ。
ビロードの服、ビロードの針刺し、ビロードの小さなバッグ、ビロードにはうっとりするような手触りがあった。
その光をすべて吸収してしまうような深い色合いが、とても神秘的な感じがした。
まだどこかに、卓袱台や練炭火鉢のある生活だったから、余計にそういうものに、憧れがあったのだろう。

そして、くじを引いて、何かひとつ小さなプレゼントをもらって帰宅するのだが、それは大抵、後で考えると大したものではなかった。
大人が化粧台の前に置く、小さなトレーとか、壺だか花瓶だか、そんなもので、とにかく何故だか子供が喜ぶようなものでは無かったにもかかわらず、縁日の玩具と一緒で、なんだかそのわけのわからないものが、神々しく、大事に持って帰ったものだ。

しかし大人になって、子供を持ってから、クリスマスとは大変な労働をする日なのだということが、判明した。

いつもの家事の他に、買い物に行って、チキンやケーキの行列に加わり、草臥れて帰ったあとに、その他の料理を色々作り、さてお腹いっぱいになったらプレゼント交換、そのあとまた暫くして、ケーキとお茶の支度、全て終わって深夜には、非日常的な数の洗い物が待っている。
今思えば、若かったのだけれども、それでも本当にクタクタになったものだ。
誰かを喜ばせたり、自分も素晴らしい思いをするということは、物凄く「疲れる」ことなのだということを、大人になると身をもって知ることになる。

それでも、今でも思い出すのは、その日子供が寝た後、その寝顔の安らかだったこと、可愛かったこと。

そばに立っていたクリスマス・ツリーの豆電球が音も無くそっと点滅していて、寝顔の静けさとその無音のしんみりした輝きが、完全に同質のものだと感じたこと。
まさに「
Silent Night 」。

そしてツリーそのものが、眠っている子供の夢の化身であるような、そんな気持ちになって、しげしげとツリーを眺めたこと、それを俳句にしたことを。


聖樹立つ眠る子のその夢の如








現状に甘んじている着膨れぬ



洗い物いつも深夜に冬オリオン



身辺に問題多く冬銀河



寒星やひとつ言葉に助けられ



タオルより洗い髪解くシクラメン



駅までをともに凩旧き友



冬の雲夕焼け巻いて歌舞伎かな






応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村








スポンサーサイト

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: ホロスコープ

コメントありがとうございます。
共感していただけて、とても嬉しいです。

双子座のA型、バッチリ同じですね。
ホロスコープは結構難しく、私もまだ完全に理解はしてないのですが、石井ゆかりさんの星占いが、怖いように当たるので、もう少し深入りしてみたいと思ってるんですが。中々忙しくて、片足を入れて、掻きまわしているくらいの状態ですね。((笑)

非公開コメント

お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR