冬に入る

冬に入る

201711e.jpg
今日の1曲/Thea Gilmore/ Drunken Angel 


冬に入る街は光に膨らみて

「冬に入る」は、好きな季語だ。
多分読んだ時の音のせいだろうが、「立冬」と言うと何だかのべっとした道路標識みたいだけど、「冬に入る」と言うと、「冬に入ってゆく」あるいは「冬に入った」という、動きが含まれていて、電車やエレベーターに乗っているような移動感があって、いい。
「さあ、いよいよ冬だ。準備しなくちゃ」という心構えの感じもある。
ああ、お布団を出したと思ったら、もう大きいお布団を用意しなけりゃ、干して、ダニ掃除の掃除機がけをして、厚い方のコートも出して、マフラーやスヌードはも一度洗おう。コーディロイのスカートは何処だったっけ。

実際、今日は(ここを書いているのは11月12日)劇的に寒くなった。
まさに「冬に入る」という感じ。
今までの薄手のコートでは心もとなく、厚手のコートで出かけた。

正直言って、極め付きの冷え症だから、冬が来るのは決して有り難くない。
油断していると、膀胱炎だの過敏性大腸炎だのが、ひょいっとやって来るし、重いコートに分厚いスパッツ。
お洒落より防寒優先のファッションで、一回りふくよかになってしまう。
掃除だって、億劫になりがちだし、食料買い出しに行かなくてはならない時、車をやらないから、雨だったりしたらもう悲惨。
近所のスーパーは閉めてしまったし。(まだ言ってる)
生活の基盤を整えておくのだって、寒くなると容易なことではない。

だから「立冬」なんて聞くと、「ええー、もう冬? ちょっ、ちょっと待ってよ、もうしばらく秋ってわけにはいかないのォ?」なんて言いたくなる。

でも、ふと手元にある歳時記を開けば、「寒夕焼け」「冬茜」「冬空」「凩」「寒月」「時雨」「寒雀」「白鳥」「山茶花」「水仙」「枯野」「寒林」「冬薔薇」などなど、綺羅星の如く、大好きな季語、季節のエッセンスのような言葉が、ぼろぼろと落ちてくるではないか。

これらの季語はただの言葉ではない。
今までの自分が通り過ぎてきた過去の、様々な冬の中のある瞬間瞬間を、冷凍保存のように封じ込めているのだ。

こういう言葉たちの小さな、しんみりとした輝きを見ていると、「ウーン、ま、冬もまた、いいか」という気持ちに、じんわりとなってくるのである。




落日の紅極まりて冬に入る



冬に入る無口な人の後追うように



黙々と畳む衣類や冬に入る



誰か影忘れてゆきぬ冬に入る



オリオンの弦緊まりゐて冬に入る



まだ宙に浮いてる一句落ち葉かな



何もかも出だしに戻る冬の雲



寒昴終わった愛を振り向かず



凩や言いたいことは山ほどありて



何処まで行っても冬空の下にいる



冬茜遠くのひとをおもう色













応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR