白菊

白菊
201711b.jpg
今日の1曲/ONLY TRUST YOUR HEART / YOSHIKO KISHINO



白菊に朝は何度もあたらしき



白菊や知らぬ顔のみ今朝の夢



白菊に揺れしこころを決める時



白菊のまはり夕闇溜まりをり



白菊に静脈ありぬ朝曇り



夢追えば疲れてをりぬ秋オリオン

やることが、どうも多すぎる。
単に身体的にすべきことというだけでなく、考え、懸念し、シュミレーションし、工夫する、こういったあらゆる頭脳労働も含めて、その頭数がどう考えても多すぎる。
シンプルでない。
夢と言えることも、夢どころではなく、どうにかしてゆかなければならぬことも、それから日々の生活の基盤も、それぞれが馬鹿にできないボリュームのあることなのだ。
ひとつひとつが、すべて小さな決断と工夫の連続だ。

なまじ凝り性だし、自分なりの創意工夫をしなければ、どんなことも退屈極まりないただの義務でしかなくなってしまう。
だから、創意工夫の連続が嫌ではないのだ。

ただ、その数、ジャンルがどうも多すぎるようだ。

やること、やりたいことが多いのは、悪いこととは思わないが、その分疲労も華やかに増えて、それらの事々にじゃらじゃらとくっついて来る。
若い時と違うのは、こういうものをあだや疎かにしていると、突然足元をすくわれる、ということだ。

割合、体からの信号を無視してしまう、というか、気づかずに何でも根を詰めてしまう性格だから、すぐに体の方から、ブーイングが来る。

疲れ果てて、深夜ベランダに出ると、南の空にオリオン座が輝いていた。
そうだ、去年の今頃は、違う場所から、毎晩オリオン座を見ていたのだ。

どうにも解決してゆかぬことが色々ある。
だからこそ、新しいことを切り開いていかなくてはならないのだが、いやはや、体の声にも、耳を傾けていかないと。




月高くしてひとの夢混濁す



小春日に少女の我に呼ばれゐる



秋雨の最初の細さ見上げをり



最後まで読んでしまいぬ秋灯

秋灯というものが、現代の生活で本当にあると言えるだろうか。
春灯もしかり。

家とてもそうなのだが、大体が、円い大きな蛍光灯のリビング。
机と言えば、パソコンが鎮座し、そこから光が出るので、スタンドなどは不要。

それでも私達の世代は、昭和の暮らしが体の奥底に眠っているから、「秋灯」「春灯」と言えば、分かるのだ、あの感じ。

蛍光灯なんて言ったって、なんだか薄暗い、障子のような和風な囲いに囲まれている照明器具、あるいは電球に硝子の傘がかかっただけのシンプルな照明、机には布製の傘のスタンド。たいていの照明器具には、紐がついていて、それを引っ張って、点けたり消したり。
リモコンなんてものは無かった。

現代の、隅々まで隈なく明るく便利なリビングに、「秋灯」「春灯」は果たして存在するや否や。

谷崎潤一郎の陰影礼賛ではないけれど、「光」というものと「闇」というもののあわいの、うすぼんやりとしたところに、「秋」や「春」それぞれの夜の、魂のようなものがあったのかもしれない。











応援お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村






スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

ブロとも一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR