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柘榴・秋アラモード7

柘榴

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実柘榴に落暉いよいよ重くなり



実柘榴が力溜めてる枝の先



言いにくいことの言えずに柘榴かな



投げやりな視線の女柘榴爆ず



あかあかと過去蓄積す柘榴かな








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今日の1曲
Alison Krauss - Dream Of Me










秋アラモード7


201710h.jpg


長き夜のペンも眼鏡も立った先



本売って出来る空間秋灯


ついに断捨離実行。

いやあ、疲れた。
本だけではない。

納戸と言う名の大いなる混沌。
「舌きり雀」の葛のように、魑魅魍魎が入っている混沌を、片っ端から息子と捨てまくる。

入っていたのは自分の心。
つまり、思い切りが悪く、優柔不断で、夫に「まだ とっとけよ」言われれば言われたままに、「まあいいか」の連続。一体何をそんなに後生大事にしていたか、

息子の小学生の時の自由研究、古本屋に売る、売ると掛け声ばかりのコミックスの山、若い時から持っていて、ついぞ仕立てなかった服地、編みかけで放置していたセーター二つ、捨てるのに困った華奢な硝子の小物、金魚を飼っていた時の水槽、支障があって使わなくなったのに、捨てないポット、鍋、今や骨董のようなカセットテープ、最初に使ったコンピュータはなんとマックだった、その骸。キーボードだの、以前のモニターだの、壊れたヒーターだの、聞かなくなったCDだの、書けば切りも無い、捨てるという行動が面倒、あるいは捨てる決心をするのが面倒、その躊躇がどっさり溜まれば、こういう山になるのだという、動かぬ証拠。
「後でいいや」というのが、溜まってしまうと、とんでもなく巨大なしっぺ返しがくるという、教訓。

(あれっ、断捨離って、まだまだ使える立派なものを、物がありすぎるから、処分するんだったっけ、とするとウチの場合は、ちょっと違うのかも。単に捨てるのが面倒だった物達ではないか!)

はてさてこのように、自分というものの性格のいびつさを、はっきりと目にもの見せてくれてしまった納戸だったのだが。
これをコツコツ燃えるものと燃えないものに弁別し、運び、その重さたるや、息子の手助けが無ければ、とうてい最後まで強行できたとは思えぬ。

いやあ、本も大変だった。

コミックスは売れるだろうとは思ったが、何せその埃をクイックルで一冊一冊拭い去り、シリーズものは番号順に。

自分の本もしかり。本と言うのは、集まると、どうにもならぬ。
岩になるのだ。
文芸書は実家に置いてきたものを以前にかなり処理したので、それ程には無いのだが。
だいたいが、主婦件時折デザイナーなんて生活では、小説など読んでいる時間は実質的に、あまり無い。

そこではたと気づいたのは、もしかして、自分が俳句にのめり込んだのは、そういう実際の時間的事情も大きいのではないのだろうか、ということだ。

長い小説の迷路を溺れるように通過してゆく快感も確かにあるが、俳句のスピーディーな、稲妻のような、閃き、感動、共感、これほど多様な含蓄のある歓びを、短い時間で享受できるその幸福。
これこそが、もしかしたら私と俳句との繋がりが絶たなかった理由なのかもしれない。

世界で最短の詩形式。

この形式自体が、ひとつの哲学であり、ひとつの詩であると、私は思う。

2017年の初めに書いた序文と重なるが、「今、ここ」に生きるイノセントと、生の一瞬、一断片を潔く切り分けて表現する俳句形式が、私の中ではぴったりと重なり合う。

そしてその世界で一番短い詩は、読むのも書くもの小説のような文芸形式に比べたら、少しの時間でできるのだ。短いからと言って、深い浅い、広い狭いと言うことではなく密度の問題なのだ。

もう10年以上前のことになるが、実家でエリートの兄弟に、「俳句なんて、古臭いことは、僕は絶対子供にもやらせない」などという、それこそ「古臭い」ことを言われてびっくり。
「お公家さんっぽい」とも言ってたから、短歌も俳句も一緒くたなんだと感心。理数系だからなあ。

それでは彼は現代詩を読むのだろうか。
読みはしない。

まあ、私達の時代の国語の教科書の責任もあるだろう。
なにせ俳句の第一歩は芭蕉の「古池や~」なんだから。俳句甲子園なんてのも無いし。

せめて中村汀女の「少年のかくれ莨や春の雨」とかのせたらどうなんだ、いや、そりゃムチャというものか。

定型であろうがあるまいが、「詩」の重力が成り立っている世界なら、それが「詩」なのだ。
物理的な時間の流れの中での「古い、新しい」しか見えないものに、文学の本質が見えるとは思えない。

「俳句は古臭い」と決めているのが、どれだけ古臭く、オリジナリティの欠如している視線なのか、いまだに多分気づいてないんだろうなあ。

話を戻して、ブック・オフは,来るのがひと月も先になるというので、ネットで調べて、「あやみ堂」という名前の古本屋に来てもらうことになった。店舗販売だけでなく、ネット販売もしており、それがなかなかいけるらしい。

茶髪の体格のいい、元気なお兄さんがやってきて、丁寧に見てゆく。
本が180冊くらい、CDが50枚くらいだっただろうか。

こんな本、売り物になるかなと思っているようなものが、「ああこれ、このシリーズ、探してる人結構いるんです。」などというから、びっくり。30年も前の日本料理の本。ページの端がめくれて折れたままだ。

「へー、こんなに古くなっちゃってて、いいの」

「ああ、本の状態は一応書いておきますから」とのこと。

捨てる神あれば拾う神あり、とは至言である。
特にネットを通してのお客というのは、マニアックな人が多いから、今時こんなものどうだろう、というようなものでも、ちゃんと需要があるらしい。
段ボール4箱分の本を、3階から何度も行き来して運んでくれて、最後に「では」といって、査定してくれた金額は、息子の分を抜いても、なんと福沢諭吉以上のものでした。

「えーっ!そんなになるんですか?」と思わず。

「はい、またお願いします」と、お兄さんはニコニコしていた。

断捨離決行で古雑巾のように疲れていたのだが、この成り行きで一気に気持ちは上がった!
主婦というものにとって、こうした思いがけない突発的な収入は、星屑の如く、キラキラと後光を背負って見えるのだ。

この福沢諭吉は特別だ。私はそれを封筒にしまう。

それから花の種をそっと土に埋めるように、それを抽斗にしまい込む。
さてどんな花が咲くか、それとも実がなるか、それはこれからのお楽しみ!
(しかしあまり長くとっておくと、家庭の必要経費にいつの間にか化けてしまうから、気を付けようっと)






木犀香月の満ち欠け同期して



木犀や少女と少年入れ替わる



秋の海ぶっきらぼうな波寄こす



天高しとりあえず白紙に戻る



秋天や何度でもスタートラインに



霧の中行けば体重失えり



秋麗ぼろぼろになった我を捨てる



もうこんな処まで来た鰯雲



秋思捕まえて保存ビンに漬けてみる



菊の香に鏡の我が引き締まる



秋冷や自分の中は心地よし



柿見れば一緒に空の青見えて











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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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