葡萄・秋天・水澄むなど

葡萄


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刻一刻時の実りて葡萄かな



高き天の額より葡萄垂るる



密生すアルゴリズムの葡萄かな



葡萄裂れ迸り出る夜の四肢



かなしみは真っ直ぐに垂る葡萄かな

かなしみは、真っ直ぐに垂れる。どこにも干渉する力が存在しない。
葡萄も、真っ直ぐに垂れる。重力に身を任せるのに、どこにも干渉する力が存在しない。

もし人が捥いで食べなければ、鳥が食べるのだろう。雨風が葡萄粒を落としてゆくのだろう。
そして何度も昼夜が入れ替わり、葡萄も私も鳥も風も存在しなくなるのだ。









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秋天・水澄むなど


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本日のBGM 

Keith Jarrett Trio - When You Wish Upon a Star



秋天に紙舞い上がり落ちて来ず

今日は、はっきりと「秋になった」と確信した日だった。
といっても、暑いのは暑かった。
しかし、確実に秋が訪れていた。

暑くても、風が木綿の布のようにサラリとしているのだ。
べっとりしていない、なんていうか、身を清めてくれるような、風。

それから光の粒子が、しっとりと落ち着いている。
光がきめ細やかに、微かな重みを持っているような気がする。

そして、地上のものはしっかりと沈下し、天のものはすっかり高みへと遠ざかる。

こんな日が、記憶の中のそんな日を一挙にかき集める。

今日の秋の光のその角度の中に、私が見ているものは、またあらゆる過去の同じような日の、秋の光なのだから。


秋天や列車出てホームは無人



チェンバロがひかりの螺子を巻く秋天



虫の闇我も沈める船となり



人待てば火照ってをりぬ虫の闇



モナリザの微笑の後ろも秋高し

これは、本物のモナリザの絵の通りでは、ない。
本当のモナリザの絵の背景は、まあ秋っぽくないわけではないが、もっと湿気がありそうだし、この世かあの世かわからぬもやーっとした怪しげな感じがあって、あまり「秋高し」という雰囲気ではない。

でもこれはモナリザの絵を写生した俳句ではない。
何となく秋っぽいモナリザの微笑みと、「天高し」という季語の、両方のコントラストを利用した、俳句の中の自然現象を作っているものなのだ。

俳句の中の力学が、現実の力学とおんなじ、というわけではないのだ。



秋晴れのような嘘つくおとこかな



柘榴落つ馬鹿野郎という言葉



私とは誰なのかしら水澄みぬ



水澄みて滑らかな幾何となりゆく



その昔風だったことのある蜻蛉



思案とは林檎の中の虫の道



うつくしき引き算となり秋の空

春、夏というのはイメージとしては「足し算」だ。
伸びてゆく草木、増えてゆく花々、暖かくなり、やがて暑くなって、上昇してゆく温度。

秋は、そうなれば「引き算」だ。
低くなってゆく温度、湿度、少しづつ木々の緑の厚みが薄れて、花もどちらかというと秋のものは地味目である。

しかし引き算の大気のどれほど透明で心地よいことだろう。
そして花を終えて、充実した実を結ぶもの達。

この上なく豊かな余剰、美しい、引き算。

ひとの秋もできるだけこう行きたいものだが、なかなか。












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いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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