曼殊沙華・秋アラモード2

曼殊沙華

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空の青祀り上げたり曼殊沙華



睡るもの地に層なせる曼殊沙華



曼殊沙華つかむ虚空の涼しさよ



曼殊沙華古き白黒写真の中



暮れゆきて遠きネオンや曼殊沙華

曼殊沙華には沢山の別名がある。ご存知の彼岸花のほか、死人花(しびとばな)地獄花(じごくばな)幽霊花(ゆうれいばな)剃刀花(かみそりばな)狐花(きつねばな)捨子花(すてごばな)毒花(どくばな)など、あんまりだ、という不吉な感じの名前ばかり。

球根には毒があるというが、水で何度もさらすと無くなるので、昔の人は飢饉の際のデンプン源としていたという。

それにしても自然の造作とは思えぬ見事な造形である。
混ざり気のない「赤」だから、見れば無条件に「ドキッ」とするが、よくよくその形を見れば、全てが曲線で構成されていて、優雅で繊細だ。

私はこの花を見ると、浮世絵を思い出す。

歌麿や国芳、春信など、どうして浮世絵の中の人々は、あんなにどこからどこまで、曲線だけでできているのか。
色彩がいまひとつ地味目なのは、植物性の絵の具しかなかったからだというのは、分かる。
でもあの人間たちのシルエットは、極端に柔らかく描かれていて、軟体動物のように不気味である。

日本に来たことのない外国人が、昔あんな絵を見たら、日本人には骨と言うものが無いのか、と思ったりしなかったのだろうか。

曲線ばかりで描かれた浮世絵の、かんざしだらけの女性のような、柔らかくて哀しい雰囲気、そんなイメージを、私はこの花に、持っている。












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フォーク、ロック、ブルース、ジャズ、どんなジャンルの音楽でも独自の解釈でソウルフルに歌い上げるエバ・キャシディ。曲はビリー・ホリディのもの。











秋アラモード2


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眠り入る我は銀河と平行に



蛇口から水漏れている銀河かな



瞬けば花野が消えてしまいそう



しあわせはどこかが麻痺す花野かな



かかわりにならぬがよろし秋の雲



秋風や四肢水平に伸びゆきぬ



コスモスや考える筋肉弱る



手放してゆくもの多しコスモスや



過去のこと過去に帰りぬ秋の風



秋夜長ドラマ見ている百面相

深夜家事がすべて終わった後、ダイニングキッチンのいつもの自分の席に座ると、ちょうどその位置から違う部屋、今は主に夫が使っている奥の部屋の一角が見える。
そのほんの10センチくらいの視覚の中に、私の見たことのない夫がいる。

その時間、夫は大抵布団に寝そべって、お腹の上にノートパソコンを置き動画を見ている。
映画かドラマかわからないが、そういうものを見ている時間が、彼の黄金時間のようである。

私が驚いてしまうのは、夫の表情が、私には見せたことがないような、豊かで繊細な、色んな顔をする、ということなのだ。

本当に、結婚以来見たことのない、色々な顔。
まるで奇妙な隠し事でも発見したかのように、私は驚く。

だって、そう言っては何だけど、私は彼の、大体5パターン位の表情しか見たことがないのだ。
笑っている顔、怒っている顔、適度に機嫌のいい顔、戸惑っている顔、ごくたまに塞いでいる顔。
だいたいがこんな感じで、いつもの夫の、いつもの顔。

だがドラマを見ている時の夫の顔は、繊細かつ微妙な表情で、秋の夕焼けのように、刻々と変化するのだ。

ニコニコしていたかと思ったら、眉根がかすかに曇って来る。
怪訝そうな顔色になって来たかと思うと、そのまま目には同情と心配の色がありありと漲って、眉は八の字に下がり、今にも涙が浮かぶのでは、というような表情へと変わってゆく。

えーっ、あんな顔、するのー!

ここですかさず私はムラムラっとくる。
何故って、私の身の上にも、ほんと色んな事があったのだが、いまだかつて、あのひとのあんな視線を浴びたことはないのである。

あの共感に満ち満ちた、心配そうな視線!

そうかと思えば、限りなく優しい顔になり、その柔らかな視線はあたかも秋草を撫でてゆく微風のよう。
その風が、キラッと光ったと思ったら、まあなんて、芯から嬉しそうに微笑むではないか。
混ざり気の無いひとの心の表れた表情というものは、これほど印象的なものなのか。

それから、ああ、これも初めて見る顔だ。
何かと何かに葛藤、している顔。
憎しみと悲しみ、或いは憤りと諦め。相反する感情に引き裂かれ、葛藤している、こんなに深い大人の表情を、私は現実の夫の顔に上に、一度たりとも発見したことはないのである。

2人で話している時に、よく私の言うセリフ。

「ねえ、聞いてる?」。「聞いてるよ」。

しかし話には返事がないことも結構ある。
話は聞いてくれているのだろう。しかしそのレベルというものがあるだろう。

私という川の、水面に近いところで、彼はコミュニケーションしているのだ。
その下の、深いところまで、あまり降りてくることが、無い。

でも人間なんてこんなものかもしれない。

夫の知っている私と、私の知っている夫でコミュニケーションしているだけだから、それは途方も無く、お互いの現実から、遊離しているのかもしれないのだ。まるで木霊の木霊のようだ。

ひとりの女性の心を掴むのは、そんなに難しいことではないと、私は思う。
時にはその女性の話を、心底共感して、聞いてあげること。相手の心の前に、じっと立ち止まってあげること。

それはかならず相手に伝わる、そう思う。










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いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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