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狗尾草・晩夏アラモード

狗尾草

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それらしい言い訳考へ猫じゃらし



猫じゃらしわたしはわたしに矛盾する



雑用に明け暮れてゐる狗尾草



陽を吸へる狗尾草を見て帰る



狗尾草まだ飼い猫になり切れず



猫じゃらし愛想出さずに尻尾出す

近所で、餌だけ貰って、その家の玄関周りにたむろしている半野良猫?外猫?達が、そういってはなんだが、全然可愛くない。

ちょっと呼んだりしても、「ふん、お前は何か持ち合わせがあるのかね?」みたいな顔をしている。
1メートルまでは逃げないが、50センチまで近づくと、やはり逃げてしまう。

思えば実家では猫がいないことはほとんど無かった。
いなくなっても、すぐに私がその辺の野良猫をなつかせてしまった。
若い時、私はあの柔らかな猫の背や、頭を撫でて暮らしていたのだ。

しかし、いつでも悲しい別れが訪れた。
病気で私の部屋で亡くなった猫もいたし、どこかへ行ってしまった猫もいたし、街に住んでいたから、交通事故も多かった。

その度にもう猫は飼うまい、と固く心に誓うのだった、が。

今になって、ふと思う、あの猫たちは、今何処にいるのだろう。
何処にもいないってことは、あり得ない。

だってこれだけ私の記憶の宇宙にいるんだから。

最も、猫だけではない。
いなくなってしまった、大事な人達、無くなってしまった、懐かしい場所。

今はもういない、色んな人達、色んな場所、色んなもの。

何となく思うんだけど、今いるものに、今いないものは、組み込まれている。

ジグソーパズルのように、色々なピースで私の周りは埋め尽くされている。
実在しているものも、実在していないものも、かつて実在していたものも、私の周りをぎっしりと埋め尽くして、いる。

さしたる理由も無く、そんな風に感じる時があるのだ。








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晩夏アラモード

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新涼やもの考える人の顔



秋夕焼け今日も両手にレジ袋



行く夏にいつも何かを置き忘る



秋暑し恋はゆっくり解体す



わだかまり持て余しつつレモン買う



蛇口思い切り捻れば秋夕焼け



吾の中の少年少女の晩夏かな



梨食ふや月夜のすべり台降下



稲妻やどっちつかずな我の前



虫の声闇洗われてゐる如し



かなかなや小刻みに我の奈落へ

この句は、最初はこうだった。「かなかなや 小刻みに恋の奈落へ」。
どちらでも成り立つとは思ったが、なんにせよ気が引けた。

ゆっくり解体していくような恋について詠むのは、この年になると実に現実的で気が引けないのだが、ゆっくりと熟成してゆくような恋について詠むのは、なんだかもう気が引けてくるのだ。

でも若い人が読んでくれて、「そうそう」なんて思ってくれたら嬉しいし、やっぱり「恋」でいいにするかと思ったり、かなり迷った。

22歳の、俳句なんぞ全く興味無い息子にどっちがいい?と見せたら、「我」だという。

同じ奈落でも、「恋の奈落」と「我の奈落」では雲泥の差である。
「恋の奈落」なら、少しづつ、少しづつ上昇してゆくのだけれど、「我の奈落」だったら、少しづつ、少しづつ、確実に落下してゆく。

でも「我の奈落」というのは、矛盾しているかもしれない。

なぜなら、奈落というからには、もう「我」などという範疇をとうに超える境地に達してしまうと思うからだ。
「我」というバケツの底が抜けて、空だの風だの、花だの木だの、虫だの魚だの、森羅万象と渾然一体となっているような場所、そういうものが奈落というものでは、ないだろうか。

それならば、「恋の奈落」でなくったって、別段それほど救いようがなく寂しいものではないということだ。

ここまで考えて、ふと立ち止まった。

いや、そんな風に思うのは、確かにこの年になったからではないだろうか。

若い頃、特に10代の頃なんぞ、自分は本当に激しい孤独の空洞を、確かに持っていた。
それはバケツどころではない。
長い長いトンネルのような、そんな救いようの無い孤独だったのだ。
底は空いていたかもしれないが、10円玉くらいの穴が開いて、うすぼんやりと光でも射していた程度だったに違いない。

それが今となっては、バケツの底はすぐそこだ。

そして、バケツの底が抜けた向こうは、果てしなく豊かな、森羅万象の奈落なのだ。











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コメント

初めまして。

あなたの今日の一句で、すきなのがありました。

「帰郷咲きひとみな別れ行く夕べ」

今後も時々拝見させていただきます。私のブログのタイトルは、
「天蚕糸さえ透明なる幻影の言語を尋ね彷徨う」

大変に長くすこぶる気取ったものです。よろしかったらのぞいてみてください。八月末にこちらに来ました(投稿)。それではまた。

Re: 初めまして。

ありがとうございます。
読んでいただけて嬉しいです。
コメントを見つける前に、「来訪者リスト」の方からそちらのブログを知り、さっき伺いました。
面白かったしデザインも素敵です。
これからコメントを入れにまた伺おうと思っていました。

どうぞまたご訪問ください。
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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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