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虫の闇

虫の闇


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本日の1曲/Stacey Kent - Quiet nights of quiet stars (Corcovado)


手鏡の中の真夜中虫の声



虫の闇過ぎて再び虫の闇



拡大鏡の文字膨らみぬ虫の声



虫の闇地にも星空ある如く








8月も半ばを過ぎると、夜道を帰宅する時、あちこちで虫の声を耳にするようになる。
猛暑になったり、涼しくなったり、台風になったり、残暑になったりしながらも、回り舞台の後ろに回っている方では、やはり色々な小道具や役者が確実にバトンタッチしているのだ。

虫の声というものが、私の中では、「闇」とセットになっている。
「闇」と言っても、それは夜なのだから、当たり前であるが、もっと言えば、「空間」のようなものを、あの声で感じるのである。

帰宅して、暗い玄関周りで、冷たい鍵をバックの中に探っている時、いきなり周りの植え込みから、「リリリリ・‥‥」という声がする。
すると、そこに今までは大して意識することのなかった、小さな空間、黒々とした艶やかな「闇」が、ありありと虫の声によって、目覚めてくるような、そんな気がするのだ。

虫の声が大きくなると、その漆黒の闇も、膨張する。

普段は「闇」なんてものは、意識になかなか上らない。上ったとして、非常に物質的な、ただの「暗がり」という感じで、研ぎ澄まされた虫の声によって、艶やかに切り開かれていくような、瑞々しい「闇」とは違う。

「虫」に纏わる季語には、「虫の声」「虫の音」「虫集く(むしすだく)」「虫の夜」「虫の闇」「虫の秋」「虫時雨」など、色々あるのだが、個人的に最も好きなのは、「虫の闇」だ。

だが虫の声も、ここ10年で、結構スケールが小さくなって来た。
圧倒的に、数が違うような気がする。
最も自然と言えば公園か人の家の庭くらいしかない住宅街だからかもしれず、郊外へ行けば、いやというほど「虫集く」が味わえるのかもしれないが。

10年ほど前の9月初旬頃、家人が出払って、一人で家にいた時のことだ。

折から涼しくなってきた気持ちの良い風に乗って、一体何匹の虫の声が重なっていたものだろう、右から、左へ、後ろから、前へ、沢山の虫の声の分厚い大合唱が、全ての窓を開け放っていた家中を、縦横無尽に通り抜けていた。

まだその頃は、向かいに空き地もあったし、近所には、夏になれば草深くなる場所も点在していた。

あまりの気持ち良さに、私は一人寝そべって、体内を虫の声が通過してゆくのに、ただただ身を任せていた。

それは琥珀色の深い輝きを持っている様な気がした。

そしてふと気がつくと、私の身体が、すっかり透き通ってしまったような錯覚に陥った。
自分というものが、ただの虫の声と風の音との、無形の通過点でしかなく、そのふたつの大きな流れの中に、すっかり透過してしまったような感じになったのだ。

私は、虫の声をたっぷりと含んだ風に、薄っぺらな凧のようになって、吹かれるに任せた。

あのような素晴らしい体験は、残念ながらあの後はあまり無く、思えば段々と虫の声の数が少なくなってきているのは、確かなようである。

虫の声は、暑さのあまり朦朧としていた意識を、ひと時覚醒させてくれる。
まるで汚れていた眼鏡を綺麗に拭いて、周りを見渡したような、そんな気持ちになるのである。

そして綺麗になった眼鏡で、本も読みたいし、普段は嫌いな片付け物もちょっとしたくなったり、あくまでも今の自分の座標のままで、私というものの、地層を少し掘り下げてみたい、そんな気分になるのである。

それから虫の声は、肉厚でしぶとい残暑の夜を、少しづつ、鎮静させてくれるような気がする。
湿気に膨らんで巨大な綿菓子のような夜の暑さを、鋭利で美しい音色で、静かに整えて、冷却してくれるような気がするのだ。

少しづつ、少しづつ。








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朝顔やまだ何も映らぬこころ



秋扇開きて言葉仕舞いこみ



知らぬ人ばかりの夢に百合の花



一瞥し振り返らずや遠花火



立葵夜の向こうを見てをりぬ




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新涼

新涼

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本日の1曲/Janis Ian- At Seventeen 



新涼の私の中に戻りゆく



涼しさの整ってくる目鼻立ち



涼しさや額の扉開け放つ



新涼の坂を自転車滑り降り








以前にも書いたことだけれども、花や草木というものは、確実に成長しているにもかかわらず、肉眼でその動いている瞬間を見ることができない。それがいかにも不思議で不服で、つまらないなあと思っていた。

6月末に、コニファーや南天、アベリアなどの低木類の苗を植えこんだ花壇が、ふと出かける時に見たら、なんだか急に、皆大きくなっているではないか。
毎日水をやりつつも、大して大きくならないなあ、もっとどんどん伸びるのかと思ったのに、ちょっとつまらない、などと思っていたのだ。
注意して凝視していると、ものというのはなかなか、変化してゆかない。
しかしどうだ、このところ仕事が忙しく、ちょっと心が離れていたら、ん?なんだか3歳児くらいだった苗達が、急に幼稚園生くらいの背丈になっているではないか!

こんな風に、何もかもが、それとわからぬうちに、私の背後で変化してゆく。
毎日の似たり寄ったりな暮らし、同じことを繰り返すことに、半ばうんさりしながらも、大して変わり映えのせぬ日常を送っているのだが、

少しづづ、少しづつ、そのバック・グラウンドでは、確実にいろんなことが、変わっているのだ。

この年になると、大きな変化は却って困りものだ。
寧ろ変化が無いというのは、ありがたいのだということが、だんだんわかって来る。

でも、今日やっていることを基盤にしながらも、色んな事が、去年の今頃とはかなり違う事情になっている。

それはたとえば、ラヴェルの交響曲「ボレロ」さながらに、最初から最後まで、主題のメロディーは同じ旋律なのに、加わる楽器や、伴奏などが、どんどん変わっていき、そして最後まで、あの曲を聞いていて、「飽きる」ということがないのと、同じようななことなのだ。

良い変化もあれば、悪い変化もあれば、悲しい変化もあれば、面白い変化もある。

私はもう、決して去年の私ではない。
表面だけ見ているだけでは、全く分からないかもしれないが、私を構成しているパーツである細胞自体が、もう去年のものでは通用しないのだ。

ぼっきりと枝の折れたところが、ある。
大きな立派な枝が、見るも無残に、ぼっきりと折れているのだ。

これは再生しないのだ。
このあとには、決して同じ枝が再生することはない。

でも、すぐそばに、新しい枝が、生えている。
これはまだ、細くて頼りないけれど、ここから、新しい私が、またドンドン再生してゆくのだ。

しかし、あの大きな、美しかった枝は、決して再生しない。
そこは間違ってもらっては困る。

終わってしまうものは、終わり、似ているけれども、違うものが、成長してくる。

悪い変化が起きた時、悲しい変化が起きた時、
喜ばしい変化のようには、とても受け入れることができない。

人間だから、それで当たり前なのだと思う。

でも時が経って、ふと振り返る余裕ができた時に、あれもこれも、それも、つまりは「変化」だったんだ、
善かれあしかれ、「変化」なのだ、そんな感慨にかられる時もある。

考えてもみれば、日常の何もかも、変化していかないものはない。
毎日作っている食事だってそうだ。
良く作っているおかずが、微妙に変化していき、その時その時の癖みたいなものがあり、ずっと作り続けているレシピでさえ、その味付けには微妙な移り変わりみたいなものが出てくるものだ。

服の好み、好きな作家、好きな音楽、肉親との関係、友人との付き合い、行きつけの喫茶店、趣味、何もかもが、変化していく。
子供を産めば、その変化たるや、特急列車のようであるし、恋も、愛も、何もかも、変化していかぬものはない。
昨日と同じと思っている今日に、それはもう、何処かが微妙に形を変えている。

夕焼けの色も、月の位置も、雲の形も、花の美しさも、全てが変化してゆくのだけれど、一つだけ、確かなのは、


それは決して、前の状態には戻らない、ということだ。








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夕暮れて白粉花迷子の如く咲き




蝉鳴けば色濃くなりし我の影




白木槿短き朝の夢消える




秋日傘誰にも言わぬと決めたこと




思い出す葡萄ゆっくり解体す





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朝顔

朝顔

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本日の1曲/Stacey Kent - One Note Samba


朝顔は空と一枚つづきなり



すんなりと話まとまる朝顔や



何処からか名を呼ばれてる朝顔咲く



朝顔や塩分糖分控えめに

少し体調を崩してしまった。
猛暑から一転、台風の間は寒いような気温だったから、その差もいけなかったに違いないが、一番まずかったのは、私が私というものの、一部分のみを「これが私」と傲慢に思い込んでいたことだ。

ページものの仕事が、忙しかった。
といっても、本業の方ではなく、家業の方の印刷物なのではあるが。30ページほどあったので、中々に大変だった。
仕事は嫌いではないから、決して手が抜けない、というか、根を詰めてしまうのだろう。
こういった種類の仕事は、時間だからやめよう、というわけにはいかない。
あるひと塊のなかで、自分の中でのOKが出ないことには、、次の段階に行けないから、うまくいかない時は、時間を大量に消費する。
すると当然、やるべき日用の家事は、後へ、後へと押されてゆき、深夜から明け方へかけて、洗い物をしたり、入浴したり、息子の朝食を用意したり、忘れていた空き缶やペットボトルを捨てに行ったり、
そういうことをしている時に、既に疲れはピークを越して、浴槽では何度も眠ってしまい、家事の合間にダイニングのベンチで、ちょっと休憩、と思うともう意識がなくなっているような状態を、だましだまし続けていたのだ。

いつもの頻脈発作が起きたのだが、今回脈の速さだけでなく、かなり胸苦しかった。
救急へ行ったが、脈は170で血圧がなんと190だったのだ。
先生もこれはまずいと思ったのだろう、一時的に心臓を止めると言う薬の分量を、いつもよりかなり多量に使ったらしい。

おかげで発作は直ぐに収まったが、薬の副作用の気分の悪さが中々おさまらず、ろれつも回らぬような有様で、肝臓に大分負担がかかったのだろうか、疲労感は2日くらいの間、取れなかった。

この発作が起きる時は、決まっている。
解決の見通しの立たないことを、悩んでいる時か、オーバーワークを自分に強いている時で、尚且つ気温の変わり目の時だ。

オーバーワークでなった時、いつもいつも、反省する。
もう無理はやめよう、そう、いつでも思うのに。

ワンシーズン経つ頃には、伸びたゴム紐が戻ってしまうように、また同じことをしているのだ。

しかし考えてもみれば、還暦を越したのだ。
10年前と、自分の意識は何にも変わりはしないから、自分の身体も同じように使おうとするのだけれど、身体の方にしてみれば、こんなに自然に反したことはないのだろう。

意識というのは、独りよがりだ。
馬車の御者のようなものだが、馬のことをもっと思いやらなければ、馬車もろとも駄目になってしまう。

もしかしたら、体と意識の間を、スライダ式に行ったり来たりしているのが、心なのかもしれない。
意識の上でこうありたい、こうできる、と思っていることに、心は寄り添っている時もある。
しかしそれがあまりに無茶なランクだと、こころの針は、はいきなり身体のほうへ、大きく激しく触れてしまう。

自分の事は、自分が良く知ってるから、大丈夫なんて思っているのに、いつもいつも裏切られるのは、こうしたわけなのかもしれない。

実は普段の血圧もちょっと高くはなっていた。それで発作時によけい高くなった可能性も。
悪玉コレステロールも数値が高い。運動不足も最たるものだ。食事については、野菜は手を抜かずに毎日ばっちり作っているのだが、塩分糖分などについては、味優先になっていた。

家事と言うのは、監督するものは自分のみだから、いかようにも、とにかく「癖」の付きやすいものだと思う。

それではまず、減塩だ。

二日ばかり減塩のメニューにしたが、なんだかさっぱりぱっとしない。
のっぺらぼうのお客さんが来たようだ。

それで考えたのは、昔少し凝っていたことのある、「ハーブ」を、また見直してみようと思い立った。
今ベランダで育てているのはローズマリーのみだが、バジル、タイム、セージぐらいはふんだんに使えるように、育ててみよう。
昔、醤油に生のタイムを漬けたものを作ったことがあるのだが、白身の魚にほんの少しちらりとかけただけで、へーって言うくらい、美味しかった。
香りの力で、減塩の物足りなさを補おう。

それから家事の省力化を、まじめにやろう。
我ながらやってみてよかったのは、「洗濯物は畳まない」というやり方。
夏になると倍になる、うちの洗濯物。
干すのも大変だが、とにかく畳むのが、堪忍袋の緒が切れる。

そこで、若い人のブログなどで見るには見ていたが、実行することを躊躇していたやり方を導入。

まず、藤の籠や、300円均一などで売っている、キャンバス地のバスケットのようなものを、5,6個用意する。
夏の間、ここに取り入れた衣類を、畳まずに種類別に放り込むだけ。家族のものは、別々に名前を付けて用意。
ほおり込んだ衣類を、ここから引っ張り出して、使う。

無論大物のボトムスやブラウスなどは無理。これは畳んで箪笥に収納。
しかしどれを着ても大して変わらぬホームウェアや下着などは、これで十分生活できることが判明した。
さすがに自分の物は、種類別に3つくらいの籠に分けるが、家族の男物は、数も少ないしひと籠にまとめて、
「後は、どーしようと、自分で考えてー!」とすることにした。

これはちょっとした革命だった。
洗濯物を取り入れて、片付けるのが、なんと「快感」になったのだ。
きっと、今までの恨みのせいなのだろう、衣類を無造作に、思い切り「ポイ、ポイ」籠に放り込む時、
えもいわれぬ解放感が私の頬を緩ませる。 「ふふっ」。

一体、今までしていたことは、なんだったのだろうか?
女の人生は箪笥に縛られていたのか。

というわけで、好きなのでどんどんエスカレートしていた、ブログの俳句も10句以内にしよう、と決めました。
エッセイもなるたけ短くするはず‥‥だったんだけどー???

何はともあれ、ここらで色んな生活スタイルを見直せ、ということかなと。
まずは、眠くなったら、素直に寝よう!と固く心に誓ったのだった。








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カンナ咲きまた暫くは日向かな



ご飯酢にしているうちに雷雨かな



月見草宇宙もすこし薄まりぬ



正確に謎めいているダリアかな



日傘してどこか翼をもつように



蝉の声一分で見る長い夢



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八月アラモード

八月アラモード

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本日の1曲/Eva Cassidy - Bridge Over Troubled Water



踊りの輪抜けてだんだんひとりかな



夏の蝶一語一語が揺らめきぬ



線香花火小さな怒り繫がりぬ



炎天の神々底をついてをり



夏銀河食器触れあう音を聞く

道を歩いていて、どこかの家の台所の窓のそばを過ぎる時、ふと聞こえてくる食器の触れあう音。
どういうわけか、あの音が物凄く好きなのだ。

夕方になってもまだまだ蒸し暑い住宅街。
この異様な猛暑は何処までエスカレートするのだろうとか、
スウェーデンの山火事のこととか、

前回の仕事の思わぬ印刷結果とか、
家業の方の気を抜けない先行きとか、
それにまつわる周りの人間の中傷にどう対抗していくのか。
暑さのせいもあって、進まない自分の計画の色々。
修復することをやめてしまった人間関係。


頭の中でグルグルと攪拌されているのは、否定的な色合いを持っていることばかりだ。

モヤモヤした気持ちを抱えたままに歩いている、そんな時に、
通りがかりの台所の窓からの、夕餉の支度をしているのだろう、食器の触れあう音を耳にすると、

紐がほどけるように、どこからともなくほっとする。

炊事をしているのは、どんな人なのだろう。
やはり同じように、問題を抱えていたり、病気を抱えていたり、何にもないってことはないだろう。

それでもとにかく、今夜のご飯の支度。
まな板に包丁を当てる音。食器棚を開ける音。皿や茶碗の触れあう音。

そこでとにかく中断だ。
いろんなことが、中断だ。

とにかく、ご飯を食べなくちゃ。

それにしても、何でああいう音たちは、あんなにも優しい音なのか。

実際に、作っている方は、それどころじゃあない。
この猛暑に、鍋に湯を沸かすだけだって、汗だくだ。

夏負けの重い体をどっこいしょと、とにかく起こして、台所に、立つ。
あれを切って、これを切ってるうちに、あれを焼いて。

ああ、もう汗だくだ。
さあもうすぐ炊飯器のご飯ができる。
魚が焼けるのに合わせて、野菜の酢の物を酢にして、みそ汁を温めて、お新香を切って、
要するに、一度にやることが、多すぎるのだ!

あれはどの皿に、これはどの器に、いやもー、なんだっていいさ、この忙しさ、この暑さ!
麦茶をついで、箸を出して、ナニー、氷が出来てないって!ああ、こんな時になんだって、電話なんか!

いざ内側はどこだって、こんな風な多忙なシーンに決まってる。
それは決して、ふわふわとした夢のような仕事ではない。

それなのに、窓一枚を挟んだ外の世界から見れば

食器の触れあう柔らかな音に
骨の奥まで、癒されているものもいるのだ。


それはただ一瞬のことなのだけれど。

そう、ほんの二、三歩歩く、その間の、出来事。




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アイスクリーム消してしまいぬその記憶



8月を杭打つように歩きをり



夕闇へ背を向けている百合の花



睡蓮が目を開けたまま睡る



考えること諦めて夏の月



私からはみ出す私百日紅





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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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