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1月 寒晴れ(2017)

寒鴉空の沈黙降りてくる



ありありと影濃くなりぬ寒鴉



寒月が風に漬かりて塀の上



電線を寒月転がるひとり帰る



枯れ欅金星しがみついてをり



寒晴れがわたしの血管の中を通る




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寒菊を飾れば冷たい空を招び



寒菊はきっと真実を知っている

2年くらい前のことだったろうか。
池田澄子の俳句に出会った。
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」 が有名だが、

青嵐神社があったので拝む

夏落葉どこに居ようと年をとる

さしあたり箱へ戻しぬ新巻鮭

幽霊が写って通るステンレス

拓チャンの書初め大いなる楕円

胃は此処に月は東京タワーの横

目覚めるといつも私が居て遺憾

嘆きとかアイスキャンデーとか湖畔

夕月やしっかりするとくたびれる

これらのなんとも素直で傍若無人な句に、ガーン、となり、「俳句にはならなそうなところ」を隅々まで、くまなく「俳句」にしたその精神の自由さに、私はしばらく打ちのめされていた。

といって、池田さんのようにはできぬ。
彼女ではないから、彼女のようにはいかない。
私にできることは、私の句の身体を、柔らかくすること。
力を抜いたり、時々すごく脱線したり、「俳句」らしくする前の段階でやめたり、
もし必要だと思ったら、そういうことをすることを、自分に大いに許すこと。
もう少し自由になること。

その後やはり、なにか自分の句が変わったなあと思うのだ。



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正月の夜道を風が罷り通る



億年の過去か未来か寒波かな



息をして圧し返される寒波かな


1月16日、月曜の寒波はすごかった。
昼間郵便局へ行かなくてはならず、コートのフードをすっぽり被り、マスクをし、マフラーをぐるぐる巻きにして出かけたら、途中知り合いに会って挨拶したのに、わかってもらえなかった。
だが昼間はまだ大したことはなかった。

夜半になって、ベランダに出ると、驚いた。ただならぬ空気だった。
冷たいというより、なにか圧力のようなものを感じた。
「寒い」というのは、もう少し空気が柔らかい状態だ。
もっと大気の冷気の密度がぎゅーっと高くなって、移動するのが憚られるような感じ。
ちょうど熱い風呂の中で動くとより熱くなると感じるように。
これは人間や生き物の管轄ではない、もっと巨大で無慈悲な力に、どこかが繋がっている。
生物などの力が及びもしないような、有無を言わせないような、宇宙の力。
そういうものの、端っこに触ってしまったような、そんな気がしたのである。
(北国の人には笑われてしまうかもしれないが、生まれも育ちも関東の自分には、こういう感触は初めてだった。)
雪の日は、良かれ悪しかれ注意が雪に行くので、温度のことより雪そのものに意識が向けられる。しかし晴れていてこれだけ温度が下がると、温度の感覚だけに気がいくから、余計にそう思ったのかもしれない。

しかし日本海側は大雪に苦しめられている。
それでなくても高齢化社会なのに、雪かきしなくてはにっちもさっちも行かぬとは!
地球温暖化の影響で、水蒸気が多くなるので、夏は豪雨に洪水、冬は大雪。
海水の水位も温度も上がる一方で、まるで地球全体が難破船のようだ
「ノアの箱舟」の話が恐ろしいほどリアルに感じられてくる。

個人でできることは実行してゆくのはむろんだけれども、年々精工なロボットが考案されてゆく素晴らしい科学力を持ってして、何とか地球の行き先を変える、画期的なアイデアは出ないんだろうか。
浅知恵かもしれないけど、一生食べていけるような賞金かけるとか、そういうのってどうなんでしょう。


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スティング(sting)は、1951年生まれのイギリスのミュージシャン・俳優。
1977年に結成されたロック・バンド「ポリス」のベーシスト兼ボーカリスト。その後ソロ・アーティストとして活躍。グラミー賞など受賞している。
スティング(sting) Nothing Like the Sun (1987)より 「Englishman In New York」
















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俳句との馴れ初め

ひとり気ままに30年くらい俳句を書いてきました。
若い時分は現代詩のようなものを書いていたのですが、俳句の独自のスタイルに魅かれて方向転換。
周りからはつまらぬ伝統回帰をしたという風に取られたりしましたが、私は堅苦しいことは抜きにして、俳句を「一行詩」と捉えています。

世界で最も短い形式を持つこの詩形が、何かを表現する時、細いホースから噴き出す水が鮮烈なように、非常にビビットにイメージが顕在してきます。
もちろん最短詩形といっても、単一なイメージではなく、時と空間を超えて重複したイメージの重なりを自在に包み込むこともできます。

また、私はこの短詩形に、何か強いノスタルジーのようなものも感じるのですが、そのノスタルジーは二つの性質の違う面を持っています。
ひとつは「季語」というタイムトンネルによって、過去が掘り起こされて現在に重なる、普通のノスタルジー。
もう一つは、短詩形のもつ鮮烈なイメージが、子供の頃や思春期の頃に体験している、生の強烈さと、何か関係しているように思えてならないのです。
「今、ここ、にしか生きていなかった実存としての自分」、そういうイノセントな状態へのノスタルジー。
原始的といってもいいような、「今、ここに、生きる」という無垢な状態への憧憬。
それは最短詩形というスタイルが自ずから持っている「取り合えずひとまとまりのイメージしか表現できない」という性質に、何か繋がってゆくものがある、私はそう感じたのです。

また、若い頃、絵を描いたり、詩を書いたり、様々に自分探しをしていたのですが、何かそういった「芸術作品」を完成させてしまうと、広義の意味での「生活」と「芸術作品」が、きれいさっぱり分かれて、きれいさっぱり分かれてしまうことが、つまらない、そんな気持ちをいつも抱えていました。
もっともこれは、「絵画」や「現代詩」がつまらないわけではなく、たまたま私がその年頃に、私なりの方法で、私なりの小さな哲学のようなものを持って、そういう風に芸術に関わっていた、というだけの話ですが。



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「生活」の入り口から入って、「芸術」の出口から出る、また「芸術」の入り口から入って、「生活」の出口から出る。
俳句はミニマムな空間のなかで、生活と芸術が自由に混ざりあい、いかようにも伸び縮みする、私にはそんな風に思えました。メビウスの帯のように。

何故こんなに小さな世界がどこまでも大きなものも内包でき、鮮烈かつ柔軟なのでしょう。
俳句は私にとって、今でも不思議で貴重な、小さな生き物です。

また、現代の物質的な日常生活の中で、「私」という「ものを感じるエネルギーの総体」である塊のようなものは、ともすれば背後へ背後へと押しやられて、痩せ細ってしまいます。

そういったエネルギーの塊としての自らと、万象とが一体となっている、人間として自然で健康的な状況を回復させたい。
そんな気持ちで、少々の俳句を作り、自分の生活で出会った物・事をありのままな感性で雑文にしてみようと思っています。



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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
60代突入・主婦時々グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・ガーデニング・音楽・デザイン。

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