1月 山茶花散る(2016)

闇の裏風の裏へと山茶花散る



山茶花に月の烈しき夜はじまる



山茶花の後ろに闇の滞る



山茶花散る夜たくさんの夢を見る



山茶花散りやまず月天心に移る




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山茶花って、椿なんかに比べると、庶民的でほっとする花っていうのが普通の感覚かもしれない。
山茶花、山茶花、咲いた道~、焚火だ、焚火だ、というあの歌のせいかもしれないが。

私にとっては、結構怖いというか、一筋縄ではゆかぬイメージがある。
山茶花って、咲いたそばから散っていくから。

散るというからには、風が強く、風が強いからには、雲が少なく、雲が少ないからには、月が射るような光り方をしている。
黒、紅、月光色、この取り合わせは文楽だ。
そして惜しみなく、何の抵抗もなく、サクサクと散ってゆく。
歌うように、喜ぶように、散っていく。
これは、とても、こわい。



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冬薔薇一つ決心固きこと



寒菊のみずを集めて固き花



寒月の煌と星々寄せ付けず


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デビット・ボウイが亡くなった。
15歳のころ、ボウイのアルバム、「ジギー・スターダスト」に耽溺していた。
「耽溺」という言葉がまさにぴったりなのであって、
「耽溺」などということは、幸か不幸か今となってはほとんどありえない。
15歳にしては早熟だったかもしれない、キリコやマックス・エルンストやタンギーなどのシュールレアリズ
ムの絵画にも「耽溺」していた。
パウル・クレーにも「耽溺」していた。私の願望は、つまらぬ日常茶飯事から足を洗って、これらの絵画の中に住み着いてしまうことだった。 
窓から望む月にも「耽溺」していて、今いくら月の俳句を詠んだりしていても、あの無鉄砲な「耽溺」ぶりのエネルギーには、到底かないはしない。毛布を被って物干し台で真冬の月を見るなぞということは、今となっては絶対にできない。
その時にヘッドフォンで聞いていたのは、他にキングクリムゾンの宮殿や、ピンクフロイドの原子心母、
ちょっと毛色の違ったところで、ジェフ・ベックのあの曲。「ディフェニットリー・メイビー」。

少し前に、インターネットラジオを聴いていて、突然ボウイの「月世界の白昼夢」が流れ出した時、
この「耽溺」状態がいきなり何の前触れもなく、私を羽交い絞めにした。
私は不意打ちにびっくりして、しばらくはなすが儘になっていたが、その奈落から身を立て直そうとして、マウスで他のラジオ局へ移ろうとして、驚いた。
まるでもう一人自分がいるように、私の意に反して、手が動かなかった。
それから数日の間、どこへ行ってもボウイの曲が流れていた。
スーパーでいきなり大音響の「スター・マン」に遭遇して、その場の空間とのギャップの激しさに呆然としたり。
ラジオ局や有線放送など、色々な所でボウイの追悼をしていたのだろう。
何だろう、やけにボウイの曲ばかりに出会うのは、と思っていたら、亡くなっていた。

多感な頃、全身全霊で聞いていたようなある種の音楽は、音楽というよりむしろ文学のようなものだ。
音楽という範疇を超えていて、そこにあるのはひとつの新しい重力によって成立している「世界」なのだ。
もっと純粋に音楽としてのみ楽しんだものは、その後いつでもふと思い立ったら、気楽にに聞けるのだが、
こういう類の音楽は、おいそれと気軽に聞こうとは思わない。
だがしかしそれは、深い地層の下の方で、決して枯渇してはいない。
それはきっと形を変えて、今現在の私の活動の、なにか創造的な部分に影響を与えている、そんな気がするのである。








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いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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