11月 黄落(2009)

霜月の月天心に読み耽る

ここ数年間、なにかと忙しく、余暇の時間は、すべてデザインとソフトの勉強に充てていたので、本というものをじっくり読む時間があんまり無かった。あったとしてもその関連の本を読んでいた。さすがに心が糸の切れた凧のようになって、家事が終わったある日の深夜、久しぶりに読書らしい読書をした。それは、とても美味しかった。人知れぬ深い山の湧き水のように、私はそれをごくごく飲んだ。

そしてわかったことは、大人になってしまうと、自分が喉が乾き切っていることに、中々気付かないということだ。ちょうど、疲れているのに、その疲れを自覚できない多くの人達と同じように。



秋雨のはじまる音はしづかなり



遠き空翳れば白菊大きかな



秋の夜にひとり垂直に降りて行く

春の夜だったら、降りては行かない。浮いている。夏の夜は、暑さと闘っているので、浮くも沈むも無い。冬の夜は、ただひたすら、その場の座標から、動かない。じいっと、しているのだ。


絵の如く燭の灯動かぬ夜長かな




黄落が眼を伏せてゆく森深く





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雲垂れて夕焼けのひかり組み伏す

なんていうか,壮大な夕焼け、マーラーの交響曲のような。そういう夕焼けが秋には多い。


柿を見て柿の重さをよろこべり



秋風や逃げ場所我の中にしか



朝寒し林檎均等に割れなくて

低血圧、低体温のせいだろうか。朝ほど苦手なものはない。若い時からそうだったのだけれども、最近は年のせいも加わって、朝の体は、まるで、難破船のようである。あちこちが、イテテ、イテテテという感じで。
そういえば、うちの息子は、朝、目覚ましがいくら鳴っていてもまるで反応しない。
目覚ましが何のためにあるのかというと、まずどこまでも延々と鳴っているその音で隣の部屋の私を起こし、私が息子に「おーい、目覚ましなってるよ、止めてー!」と大声を出す。その声で、起きるという、回りくどいしくみになっている。

目覚ましの音より私の声の方が、緊張するのだと言う。なんと失礼な!
だってそのわりには、普段何を言っても耳を貸さず、シカとしているのは一体何故? …と考えてハタと思いついた。

私にも増して朝の苦手な息子である。
寝起きの、無意識と意識の混然とした状態に限っては、私の声がまだまだ効力のあった、彼が小さい時のままの迫力
で、聞こえてくるのではなかろうか。


我睡り月の在り処をさがしをり



秋夕焼け紅を纏いてひとり帰る

今年はまた色々大変なことが起きた年だった。
まだどうにも解決がつかない。
自分一人でどうこうできるような性質の問題ではない。
そのせいで今年は沢山俳句を作った。
そういう年は、だいたいそうなのだ。
グラグラとしているとき、奈落へ足をふみ外さないように取り合えず掴まる。俳句に掴まってみる。
でもそれは、もしかしたらグラグラしている自分を映し出しだしているだけなのかもしれないけれど。




空の青動かず黄落降りやまず

子供の通っていた小学校には見事な銀杏並木がある。ある日その下を通ると、後から後から引っ切り無しに、西日を受けて、金色に輝く銀杏落ち葉が降ってくる。
美しいやら、もったいないやら、成すすべもなく見とれるばかりである。

ふと上を見ると、対照的に不動の空が、ただひたすらに青い。




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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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