3月水仙(2004)

子の算数解けるを待つも春隣



夜の雨地層に沁みて沈丁花



雛の口幽かに開いて時昏し



我迷い紐の先まで雛静謐



光負えば身じろぎできず黄水仙



春の土ふくよかに水仙起立




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瞬けば梅消え入りぬビルの群



鍋の湯を滾らせていて春の雪



子ら遊び水たまり春の空読めり



葉牡丹に雨粒乗ったまま晴れて



瓦少し濡れて明るき梅の道




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物の芽愛でる心の重荷そのままに



パンジーのはなびらひろびろ虫安堵



鶯ほどの恋己に発覚す



鶯去り枝に残れる空の青



まず夢に一歩踏み出すも春浅き




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パソコンを習い始めた。
鬱病はまだ治っていなかった。 だから、教室へ行く時は、いつもそんなことをするのはとても無理、と思う。
でも取り合えず、予約する。 予約するから、無理でもとにかく足を運ぶ。
行ってしまえば、何とかなった。
いやそれどころか、帰り道には実に久しぶりに、すっきりした気持ちになったりする。
このすっきりした気持ちというのは、今までの毎日を思うと、奇跡のような事なのである。

何故かというと、そこで経験することが、ピンからキリまで目新しいことだからなのだ。
真新しい事ばかりというのは、まだどんな感情的あるいは雰囲気的な背景をもしょっていない。
すでに今までに起きた事というのは、鬱病になると、すべて鬱病のベールを透してしか、見ることが出来なくなってしまう。
しかし今までに経験したことのない新たな出来事、というのは、まっさらであり、その感情的な意味づけはまだゼロに近い。

そして肝心なのは、今まで出来なかったことが、出来るようになるという、そのことは、
自分と自分を取り巻いているこの状況が、新たなものに生まれ変わることができる、そういう事実を理論としてではなく、本当の体験として実感することができる、そういうことだった。

鬱病というのは、今現在自分を取り巻いている苦しい気持ちが、重い錨のように自分に取り付いていて、どうにもそれを取る事ができなくなってしまう、そういうものだ。
自分の気持ちや状況が、良い方向や新たな方向へ行けるとは、どーしてもこーしても思えなくなってしまうのだ。
「今」の座標から、一歩も動けなくなってしまう。
だが、思う、思えないという観念の世界ではどうにもうまくゆかないのだが、観念より先に体験してしまうと、なにかが開けてくるということを、私は知った。

パソコン教室が終わって賑やかな街に出ると、私は本当に嬉しかった。

自分はまた新しくなれる、そのことを信じることがやっとできたから。


それからしばらくして、私はひとつ決心をした。
この教室を終えたら、デザインソフトの勉強をしよう。
若い頃は油絵を描いていた。デザインにも興味はあったが、何もかも中途半端でうやむやになっていた。

問題から離れることができずに問題の真ん中で生きなくてはならないのなら、
夢中になれることをして生きよう。
でなければ自分の重心を自分自身がとってゆくことができないだろう。

だが趣味の段階で終わるようなものではなく、それでお金を取れるようになろう。
生ぬるい気持ちでやっても駄目だろう。

友人には無謀だと言われた。
私は45歳になっていた。 残り時間はとても少ない。
こんな年からそんなことをする人はいないだろう、と。

しかし私は、その後生活の中で自由になる時間のほとんどすべてを使って、勉強した。
病気はすぐには無くならない。
でも、それと付き合いながらも、自分の目的だけに強烈にピントを合わせていったのだ。








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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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