2002/06/30
3,4月 入学(2002)
金星に繋がれしごと子と帰る幼稚園に息子を迎えに行き、帰りに誰かしら子供の友達の家に遊ばせに連れてゆく。
帰り道はもうとっぷりと暮れていて、もうすぐ家という角を曲がると、いつも同じ場所に金星が、大きく輝いている。
だがこの場合、この金星がうっとうしいのである。
毎日毎日の同じ事の繰り返し、同じ時刻の同じ道。これから帰宅してやることも同じ。
いくら輝く金星といえども、何か子供と二人で、この星に繋がれて、見えない糸を手繰り寄せられてまた家に着く、
そんなイメージを持ってしまうほど、変化の無い日々なのだった。
しかし手を繋いでいる子供の生きている世界は、全く質が違うのだろう。
いきいきとしたウルトラマンやチョコレートや、友達の顔や、葉っぱや虫や拾った小石などでいっぱいで、
絶えず意識が更新されて、新鮮で、驚きに満ちているのだろう。
そしてみっしりと充実しているため、時間はゆっくり過ぎるのだ。
大人になった自分の平板な意識との差をしみじみとかんがえる。
ひとつの世界の時間の中を共に生きていても、かように個別な時間を、私たちは生きているのだ。
帰り道はもうとっぷりと暮れていて、もうすぐ家という角を曲がると、いつも同じ場所に金星が、大きく輝いている。
だがこの場合、この金星がうっとうしいのである。
毎日毎日の同じ事の繰り返し、同じ時刻の同じ道。これから帰宅してやることも同じ。
いくら輝く金星といえども、何か子供と二人で、この星に繋がれて、見えない糸を手繰り寄せられてまた家に着く、
そんなイメージを持ってしまうほど、変化の無い日々なのだった。
しかし手を繋いでいる子供の生きている世界は、全く質が違うのだろう。
いきいきとしたウルトラマンやチョコレートや、友達の顔や、葉っぱや虫や拾った小石などでいっぱいで、
絶えず意識が更新されて、新鮮で、驚きに満ちているのだろう。
そしてみっしりと充実しているため、時間はゆっくり過ぎるのだ。
大人になった自分の平板な意識との差をしみじみとかんがえる。
ひとつの世界の時間の中を共に生きていても、かように個別な時間を、私たちは生きているのだ。
卒園の今日も虫捕る線路沿い
春昼の空にしがみつくジェット・コースター

菜花一面光編みをり空の下
背丈より菜花が高し入学す
夕桜見るも一時主婦となり
生きるほど自分から遠く夕桜
新緑やビタミン飲んでも追いつけず
紫陽花に触れてみる子の手が濡れし
道草の子の傘集う赤青黄

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