2.3.4月 回転木馬 (1999)




紅梅を過ぎれば風もぬくみをり



咳の子が寝て寒月のみどりなり



湯上りの身を水仙香に晒しをり



小走りの子追える路地に春寒し



転ぶ子に一言づつ言う春浅き





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子に絵本読み疲れゐし二月尽



春寒や手の中の子の手ちいさく



眠る子の瞼の艶や春の雪



爪ほどの夕月椿ひらくとき



春光や回転木馬止まる一瞬(動物公園)



春昼にフラミンゴ立つ眠りし如



春昼にきりん人間見下ろせる





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小走りの子の足もとの菫かな



沈丁の匂い温か夜の門



突風に椿痛みぬ空の果て



春一番結婚指輪きつくなり



春寒し子とバスを待つ手の銀貨



子の一団過ぎて菜花の黄乱るる



空と土と菜花の黄占める面積





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振り返るジャングル・ジムや春の夜



バスの窓桜流れし商店街



子の握るクレヨン匂う春の雨



列車疾走し土手の菜の花沸き立ちぬ



水族館の如しコンビニ夕桜



三つの子がこれなあにと聞く花吹雪


このページだけで、数えてみたら11句も子供が出てくる句があるのには、我ながら驚いた。
もしかして、子煩悩とか、母性本能豊かとか、そんな風に誤解されるかもしれないが、そんなわけではない。
ただただ、子供が小さい時は、へばりついていなければならないので、他にこれといって題材がないのである。

「台所俳句」なんてわけわからん言葉があったくらいだから、「子育て俳句」なんて言われたりしそうだ。
しかし、子供というのは、へばりついていなくてはならない時期の母親にとって、一種の大いなる自然あるいは神なのである。

なんといっても予測のつかない次の行動、神ともまごう無心、あるいは傍若無人、家の場合は火山のごとく怒り、駄々をこね、というのはなかったけれども、親の姿が見えなくなった途端、大洪水のごとく大泣き。
子供は泣き声のリモコンで親をいかようにも動かせる。
これらにお供え物を捧げたり、がらがらと鳴り物を鳴らしたり、なだめたり、すかしたりしながら、大事が起こらぬよう、なんとかかんとか日々を費やしていくのである。

おまけにお肌は艶々、髪も艶々、寝顔ともなれば、もう何も要求されない安堵感から、どんな花も色褪せる可憐さだ。

こういう神のごとき強烈な大自然がそばにあって、しかも一日中そばにいなければならないのだから、これはもう俳句にならないほうが却って不自然。
もしそれがいやなら、意識して子供の俳句は詠むまい、と取り決めをしなくては、ならないだろう。



車窓一面の桜今はもう闇





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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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