10月・秋アラモード5

 10月


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10月のオリーブオイルに陽が潜る



10月やブラッドベリは棚の下



10月の光に射られて立っている



10月や誰もが高き塔になる



10月のシルクハットの中の月



10月やひととの距離を測りゐる









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今日の1曲

Alison Krauss - River In The Rain 















秋アラモード5


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秋晴れは光も影も大事にす



秋晴れが天下統一している日



梨食ふや水滴に耳すましをり



嬉しがる茸の絨毯踏むように



銀漢や掃いて捨ててる鬱の屑



ここからはひとりで行かむ秋入口



同じ皿ばかり使って秋の声

これが年を取るということかと思い当たることがある。

習慣に従ってやっているだけなのに、あたかも選んでやっているような気になっている。
いつもやっていないことをやるのが、どうも気が進まない。

沢山ある本のうち、本当にちょっぴりの本しか覗かなくなっている。
沢山ある食器のうち、本当に少しの、手前に置いてあるものしか、使わなくなる。
今日のように俄かに気温が変わると、今までのお決まりのパターンの洋服から、慌てて色々と組み合わせを変えなくてはならないのが、いかにも億劫になって来る。
バックを変えるのが、なんだか面倒だ。
夕飯のレシピもこのところマンネリかなあ。
通販サイトでする買い物でさえ、なにか根拠無き躊躇のようなものが、頭の隅っこに陣取っていて、一体何なんだ、これは。
家電の修理を頼まなくちゃ、電話、問い合わせ、ああ、これも根拠なきモヤモヤがかかっている。

いつもやっていることに自分が吸着してしまっていて、いつもと違うことをしようとすると、なんだか体に納豆菌のような粘りがついていて、引き戻されるのだ。

これぞ「習慣菌」というものではなかろうか。

これはいかんー!

仕事のある時は別として、主婦の生活なんてものはたいがいが知れていて、クリスマスのスノードームの置物のように、自分で逆さにしたり、振り回したりしなければ、毎日の景色なんぞ変わりはしないのである。

問題は、どうやって気分を変えるかだ。

といっても、家事がすべてつまらないのではなく、遊びがすべて面白いわけでもない。

家事でもルーティンワークの毎日同じことがつまらないのであって、遊びと言っても、いつも同じ場所・事ではそれと大差無いものになってしまう。

例えば
断捨離もいいかもしれない。
そうだ、不要な大量の本を捨てよう。或いは、長年読んでいなかった本を再読してみる。
不要な服も捨てよう。いつか役に立つかもと思っても、結局流行が変わってしまう。
或いは、手持ちの服のコーディネートを考え直してみよう。
作ったことの無いレシピに挑戦する。
入ったことの無い喫茶店に入ってみる。
インテリアを変えてみたら。あるいは、収納について、すっかり見直してみるのもいいかもしれない。
無印の収納、考えられてるなあ。

それから人に頼るのはやめよう。
ひとりで何処へでも、行ってみよう。
新しい人間関係に飛び込んでみよう。

というわけで、一念発起した私は、まず手始めに本を断捨離することに。

ブック・オフに電話したら、「訪問買取は100冊からです」という。
そのくらいならあるだろうと、まずは本の分別に取り掛かった。

ところが、このところ身辺に色々アクシデントがあり、掃除を怠っていたため、とうに本棚をはみ出ていた本たちは、一冊一冊が、うっすらと埃の着物を着ているよう。

いやそれどころではない、リビングダイニングはかろうじて普通だが、本の大量にある部屋は、後は野となれ山となれと放置していたため、大変な有様ではないか。

しまい場所の決定されていなかったCD達は山積みになって倒壊してくるわ、息子のネット通販の残骸段ボールは道を塞いでいるわ、使わない手織り機が埃だらけになって立てかけられて、本棚の開閉を妨げているわ、書類はバサバサとあるべき場所をはみ出して溢れているわ、もうたまったものではない。

結局掃除が先!とあいなったのだが、ふと私の脳裏に、「去年はわけあって、年末の大掃除ができなかった」という重大な事実が浮上してきた。
それから、「息子のハウスダスト・アレルギーがこの頃ひどい。発作が起きると、一日中鼻水攻めだ」という事実も。
続けて、「そうだ、今年からひとりで大掃除をしようと決めたのだから、今から少しづつ取り掛かっていれば、さぞかし楽ではないだろうか。」

こうして私は果てしなく脇道にそれてゆき、気が付くと、大きな壁際の箪笥の引き出しを一つ一つ取り出し、それをひとりで動かして、その後ろの驚くべき分量の埃を掃除機でやっつける、という大事に手を染めていたのである。

本はどうしたんだ、本は。

結局脇道が大通りになってしまい、本日はこれにて終了とあいなったが、それでも一日が終わった時、その疲労は、ルーティンワークの一日の、閉塞感に満ちたどんよりしたものではなく、何か充実感のある、みっしりと健康的な、明るい疲労だったのだ。

やっぱり、スノードームは、自分で引っかき回さなきゃならないんだな。
私はそう思った。

よーし。






鰯雲我も広がる我を出て



何処からか呼ばれて来れば水澄みぬ



忘れたい・忘れたくない水澄みぬ



意志持ってここに咲きたり桔梗かな












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曼殊沙華・秋アラモード2

曼殊沙華

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空の青祀り上げたり曼殊沙華



睡るもの地に層なせる曼殊沙華



曼殊沙華つかむ虚空の涼しさよ



曼殊沙華古き白黒写真の中



暮れゆきて遠きネオンや曼殊沙華

曼殊沙華には沢山の別名がある。ご存知の彼岸花のほか、死人花(しびとばな)地獄花(じごくばな)幽霊花(ゆうれいばな)剃刀花(かみそりばな)狐花(きつねばな)捨子花(すてごばな)毒花(どくばな)など、あんまりだ、という不吉な感じの名前ばかり。

球根には毒があるというが、水で何度もさらすと無くなるので、昔の人は飢饉の際のデンプン源としていたという。

それにしても自然の造作とは思えぬ見事な造形である。
混ざり気のない「赤」だから、見れば無条件に「ドキッ」とするが、よくよくその形を見れば、全てが曲線で構成されていて、優雅で繊細だ。

私はこの花を見ると、浮世絵を思い出す。

歌麿や国芳、春信など、どうして浮世絵の中の人々は、あんなにどこからどこまで、曲線だけでできているのか。
色彩がいまひとつ地味目なのは、植物性の絵の具しかなかったからだというのは、分かる。
でもあの人間たちのシルエットは、極端に柔らかく描かれていて、軟体動物のように不気味である。

日本に来たことのない外国人が、昔あんな絵を見たら、日本人には骨と言うものが無いのか、と思ったりしなかったのだろうか。

曲線ばかりで描かれた浮世絵の、かんざしだらけの女性のような、柔らかくて哀しい雰囲気、そんなイメージを、私はこの花に、持っている。












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Eva Cassidy - You've Changed
フォーク、ロック、ブルース、ジャズ、どんなジャンルの音楽でも独自の解釈でソウルフルに歌い上げるエバ・キャシディ。曲はビリー・ホリディのもの。











秋アラモード2


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眠り入る我は銀河と平行に



蛇口から水漏れている銀河かな



瞬けば花野が消えてしまいそう



しあわせはどこかが麻痺す花野かな



かかわりにならぬがよろし秋の雲



秋風や四肢水平に伸びゆきぬ



コスモスや考える筋肉弱る



手放してゆくもの多しコスモスや



過去のこと過去に帰りぬ秋の風



秋夜長ドラマ見ている百面相

深夜家事がすべて終わった後、ダイニングキッチンのいつもの自分の席に座ると、ちょうどその位置から違う部屋、今は主に夫が使っている奥の部屋の一角が見える。
そのほんの10センチくらいの視覚の中に、私の見たことのない夫がいる。

その時間、夫は大抵布団に寝そべって、お腹の上にノートパソコンを置き動画を見ている。
映画かドラマかわからないが、そういうものを見ている時間が、彼の黄金時間のようである。

私が驚いてしまうのは、夫の表情が、私には見せたことがないような、豊かで繊細な、色んな顔をする、ということなのだ。

本当に、結婚以来見たことのない、色々な顔。
まるで奇妙な隠し事でも発見したかのように、私は驚く。

だって、そう言っては何だけど、私は彼の、大体5パターン位の表情しか見たことがないのだ。
笑っている顔、怒っている顔、適度に機嫌のいい顔、戸惑っている顔、ごくたまに塞いでいる顔。
だいたいがこんな感じで、いつもの夫の、いつもの顔。

だがドラマを見ている時の夫の顔は、繊細かつ微妙な表情で、秋の夕焼けのように、刻々と変化するのだ。

ニコニコしていたかと思ったら、眉根がかすかに曇って来る。
怪訝そうな顔色になって来たかと思うと、そのまま目には同情と心配の色がありありと漲って、眉は八の字に下がり、今にも涙が浮かぶのでは、というような表情へと変わってゆく。

えーっ、あんな顔、するのー!

ここですかさず私はムラムラっとくる。
何故って、私の身の上にも、ほんと色んな事があったのだが、いまだかつて、あのひとのあんな視線を浴びたことはないのである。

あの共感に満ち満ちた、心配そうな視線!

そうかと思えば、限りなく優しい顔になり、その柔らかな視線はあたかも秋草を撫でてゆく微風のよう。
その風が、キラッと光ったと思ったら、まあなんて、芯から嬉しそうに微笑むではないか。
混ざり気の無いひとの心の表れた表情というものは、これほど印象的なものなのか。

それから、ああ、これも初めて見る顔だ。
何かと何かに葛藤、している顔。
憎しみと悲しみ、或いは憤りと諦め。相反する感情に引き裂かれ、葛藤している、こんなに深い大人の表情を、私は現実の夫の顔に上に、一度たりとも発見したことはないのである。

2人で話している時に、よく私の言うセリフ。

「ねえ、聞いてる?」。「聞いてるよ」。

しかし話には返事がないことも結構ある。
話は聞いてくれているのだろう。しかしそのレベルというものがあるだろう。

私という川の、水面に近いところで、彼はコミュニケーションしているのだ。
その下の、深いところまで、あまり降りてくることが、無い。

でも人間なんてこんなものかもしれない。

夫の知っている私と、私の知っている夫でコミュニケーションしているだけだから、それは途方も無く、お互いの現実から、遊離しているのかもしれないのだ。まるで木霊の木霊のようだ。

ひとりの女性の心を掴むのは、そんなに難しいことではないと、私は思う。
時にはその女性の話を、心底共感して、聞いてあげること。相手の心の前に、じっと立ち止まってあげること。

それはかならず相手に伝わる、そう思う。










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百合・七夕

百合


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山百合や目に一粒の雨入り



百合の前静かに呼吸整える



百合咲いてその大きさに驚きぬ



百合咲けば一本の川流れ始める



百合の奥廊下続いて扉あり


百合の花といっても、色々ある。
花言葉も、調べたら、百合の種類によって、それぞれ違ったものがある。そりゃそうだ、こんなにイメージが違うんだから、そうでなきゃ不自然。

上の写真は山百合
花弁に斑があって、黄色い筋もある。
花言葉は、「荘厳」

山百合の日に透き月に透ける宮  飯島晴子 
山百合にねむれる馬や靄の中  飯田蛇笏
山百合のいつせいに咲く坂の町  庄中健吉 



花弁が真っ白なものは、鉄砲百合カサブランカ。普通に「百合」と言ったり、「白百合」といえば、この辺だと思う。
鉄砲百合は西洋の妖精のラッパのように、花が細長い。
花言葉は、「純潔」「甘美」「威厳」

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カサブランカは純白でも、大輪で豪華。ピンクもある。鉄砲百合と間違えやすいが、開花して時間が経つと、鉄砲百合よりも、花弁が外側に大きく反って、広がるのが特徴。
花言葉は、「威厳」「純潔」「高貴」

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鉄砲百合と花言葉のイメージはダブっている。
これらの俳句は、百合の種類は不明だが、「鉄砲百合」か「カサブランカ」の純白の、どちらかであってほしいと私が勝手に考えた、「いい!と思う百合の句」

巨き百合なり冷房の中心に  西東三鬼
百合開く絵皿の中にある異国  有馬朗人
百合匂ふ暗き方へと向き睡る  岡本眸
ハンカチの汚るるやうに百合了る 真保喜代子
思考又途切れて百合の香の中に 稲畑汀子
百合咲いて星の運行確かなり 林昭太郎


鬼百合というのは、山百合のように斑があるが、燃え立つように鮮やかなオレンジ色の、百合。ピンクのものもある。
ああいうのに、人気の無い山の中でいきなり出っくわしたら、さぞかしどきっとするであろう。
鬼百合というのは、なるほどというネーミング。英名はタイガー・リリー。勇ましいわけだ。
花言葉は、「賢者」「富と誇り」 ふーん、確かにフツーではないから。花弁がそっくり返っているせいか、プライド高そうな感じもする。
それから、「華麗」「愉快」「陽気」というものも。白百合とは随分とかけ離れたイメージ。

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谷住みの鬼百合の朱のあざやかに 細見綾子 
マリアカラスを聴く瓶の鬼百合と  片山タケ子
鬼百合のこれみよがしの蕊の反り  鷹羽狩行





笹百合というのは、本州の中部地方より西に分布している、淡いピンクの可憐な百合で、山地などに多く生息する。葉が笹の葉に似ているから、笹百合なのだとか。べたっとしたピンクではなく、ほんのりと淡いピンクで、美しい。
花言葉は、「清浄」「上品」これはもう、そのもの。

笹百合の一輪を得て宮を去る 塩川雄三
笹百合を手に舞ふ乙女神の森  中野京子

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また、俳句で時々「姥百合」というのも出てくるんだけれど、一体どんなものかと思っていら、関東以西の山地や森林に多くみられる、ユリの仲間(ユリ属)とは分けて「ウバユリ属」に分類される花だった。
なんというか、百合が、ぱっと開き切らずに少し萎れたような、そんな雰囲気の花で、女としては、何となく、失礼しちゃうわって感じ。
花言葉は、「威厳」「無垢」そう、威厳はないわけではない、でも飾らぬ感じだから「無垢」なのね。
(姥百合の写真は手に入りませんでした。)

姥百合や背筋きりりとただす友 梅田秀子
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七夕の髪解く風のはやさかな



光年と我の一年星祭



七夕や叶わぬ夢は見なくなり



七夕や素足で月日跨ぎをり



七夕や人と人との間に銀河


七夕伝説というのは、色々タイプがあるらしいが、もっとも一般的なのは、天帝(天の神)の自慢の娘の、機織りの素晴らしく上手な「織姫」と、その結婚相手の勤勉な牛飼いの「彦星」が、いざ結婚したら、仲が良すぎて、きちんと働かなくなってしまった、という話のようだ。
ふたりともそれは熱心に自分の仕事に熱中していたのに、結婚したら二人で遊んでばかりいて、それを苦々しく思った天帝が、さんざん忠告したが、聞き入れなかった。
そこで怒った天帝は、天の川を作って二人を会えないように隔ててしまった。
ところがあまりにも織姫の嘆きが激しかったため、可哀想になった天帝が、1年に1度、7月7日に二人が会えるようにしてやった、というものだ。

そして7月7日というのは、琴座のなかの「織姫」(ベガ)という星と、鷲座の中の「彦星」(アルタイル)が一年を通して、最も光り輝く日、ということらしい。
 
しかしややこしいのは、「七夕」は「秋」の季語なのである。

何故秋かというと、昔の暦、太陰暦の7月7日は、今の暦、太陰暦の8月なので、(日にちはその年によって違う)太陽暦が日本で使われるようになる前は、「七夕祭り」は、今でいえば8月の行事だったからだという。
「太陽暦」というのは、太陽の運行を基盤に作られているが、「太陰暦」というのは、月の満ち欠けを基準に作られている。
この辺は細かい話は複雑になってくるので省くが、そもそもお盆の前の準備や、美しい機を織って神様への捧げものにしたり、税として納めたりする風習とこの伝説がドッキングして、こういう「七夕祭り」というものに発展していったらしい。

その太陰暦の7月7日を、太陽暦の7月7日にそのまんま置き換えたために、まだ梅雨空だったりして素晴らしく美しいベガとアルタイルを見ることが、難しい、なんてことが起こるのだという。

「正月」もしかり。
「新春」とか、「初春のお慶びを申し上げます」なんて、厳寒の最中に何故年賀状に書くのか、昔から不思議だったが、太陰暦の正月は、2月初旬だったのだから、暖かい地域では梅もチラホラ咲いているというもの。

「五月雨」もしかり。
5月に降る雨かと思いきや、太陰暦の5月とは現在の太陽暦の6月なので、すなわち「梅雨の雨」のこと。
あーややこしい。

だから、様々な日本の行事や文化が、太陰暦を基準に行われてきたので、太陽暦をそのまま持ってきて、色々な混乱が起きた、ということなのだ。

そうかー、そんな事情を知りもせず、幼稚園の頃からさんざん短冊にお願いを書いて、笹に結わえて、「たーなばーた、さーらさら」、と7月7日に歌ってきたのか。なんていうか、日本人って素直だなあ。
だって、それはそれで7月のイベントとして、心に染み付いちゃってるもの。
今さら8月に「さーさのは、さーらさら」ってわけにもねえ。
でも、夜空を見上げてベガとアルタイルの、星のウォッチングをするには、その頃を意識していてもいいかも。

それにしてもこの伝説を聞くと、思うんだけど、これって、「新婚さん」の話でしょ。

この二人、ほおっておいたって、2,3年すればもう、ひとりでに「銀河」がどこからともなく現れて来るってもんでは、ないだろうか。
そしてしっかり2人とも、また自分の仕事に熱中して、キャリア・アップを図っていくってもんでは、ないだろうか。

そのうち喧嘩も多くなり、心配した天帝が、1年に1度だけは、「もっと、仲良くしろー!」なんて、無理やり二人をデートさせる、なんてほうが、現実的だなあ。

否、真実はもしかして、天帝が、新婚の二人があまりにもラブラブなので大いに嫉妬して、銀河を作ってしまったのでは?
父親って、そういうの、ありがちなんじゃないか。

どちらにしても、この年になってみれば、人と人との間には、必ず銀河のようなものがある、と思う。
それは男女の仲にかかわらず、どんな関係であっても、同じことだと思う。

長らく一緒にいても、あるいは肉親であっても、近い仲なら近いほど、深い銀河かもしれない。
ある時は無くなってしまったように見えていても、これはおいそれと消えるものではない。

きっと銀河は無くならない。
だから、必要とあらば、橋を架けるしか、ない。 そう思う。







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7,8月 水平線(2009)

隣人の手鏡眩し夏に入る



夏蝶の炎天に触れず過ぎ行きぬ



夏蝶過ぎぬどの花にも留まらず



蝉の声緑累々と重なりぬ



疲れゐし四肢から遠く夏の月





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凌霄花許せばたちまち午睡くる



祭り太鼓遠く眠りの崖踏み外す



高校見学子に追い付けぬ油照り



百日紅空泳ぐ知りたくないこと



風鈴連打して目覚めれば矩形の空



夕立ちて踊りの唄の途切れをり

すぐ近くの公園で盆踊りをやっていたのだが、いきなり雨が降り出した。かなり強い雨脚だった。
降り出してすぐ、雨と同じように唐突に、大音量の盆踊りの音楽もいきなり途切れた。
ふたつの唐突が重なって、不思議な空間ができていた。たくさんの人が、一挙に呆然としている姿が目に浮かんだ。


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蝉の声何層にも頂取り囲み



脈略無き夢に浸かりて夏の月



夕顔や泣けば不気味に顔大きく



鉄橋の音に目覚めて夏の川



風鈴連打して目覚めれば矩形の空



立札にサンダル干して夏の海





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エブリシング・バット・ザ・ガール(Everything But The Girl)Language of Life より  「 Driving 」
イギリスのトレーシー・ソーンとベン・ワットによる2人組のユニット。初期の頃のこういうアコースティックなサウンドの頃が一番好きだ。



炎昼が夏の波頭に垂直に



向日葵から海への道の遠近法



思春期の子の目の高さに水平線



わが問いも波の高さに胸の中



立ち上がる波の重たき晩夏かな



波引けば夕空映る濡れた砂



夕焼けを曳いてくる船夏の果て





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街に帰す潮風髪に残しまま



夏月の表面張力街の上



向日葵が分解していく晩夏のひかり



夏の星記号となりて子等の夢



空蝉の中の虚空も晩夏かな



金管の音色蔭れば晩夏なり



新涼や夕べの月のまだ白き




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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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