朝顔・花火など

朝顔

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朝顔やまだ新しきものおもい



朝顔や夜裏返り朝となる



朝顔やすみやかに星逃げてゆく



朝顔や空の皮膚まだ優しくて



朝顔の色のいちずを振り返り

少し前の夏に、朝顔の苗を買い込んで、玄関前に植え付けた。
苗についていた写真では、大層美しい大輪の、淡いピンクとブルーの朝顔で、私はそれが咲くのを、かなり楽しみにしていた。
ツルが伸びてゆき、蕾もついて、さあ咲いたかなと、毎日玄関から外へ出るときには、ぱっと開いた大きなラッパのような花を想像しては、朝顔を見る。

ところが、どうしたことだろうか。
大輪の特別の朝顔のはずが、開くには開いているようだが、使った後の布巾のように、しんなりと半開きにしなだれている。
毎日毎日、朝顔の花は、元気がなく、半開きのような、萎れかかったような、かなしい状態だった。
私は、その朝顔を買った園芸店に行って、様子を話した。
色々と話しをしたが、埒が開かなかった。よくわからない、と言われてしまった。

あれほど楽しみにしていたのに、不良品を買ってしまったのかと、大層不満だった。
青空にひらりと大きく、サキューラスカートの如く開くはずだった、朝顔。猛獣のような暑い夏に、少しでもささやかな楽しみを作ろうと思ったのに。

しかし、ある時私は雷打たれたかのように、真実に思い当たることとなる。

その真実とは、朝顔には何の罪もなかった、ということなのだ。
特別に大輪の美しい朝顔は、普通に毎日咲いていてくれたのだ。おそらく。
帰宅が深夜の主人と、私の在宅ワーカーという職業柄、寝るのは午前、4時。
どうしても午前11時ごろに起床となり、朝食、家事などが終わって、何か外出となると、早くて2時3時、完全に昼下がりなのである。

それでどうして朝顔がぴんと、ラッパのように咲いているわけがない。
夕方ともなれば、完全にしぼんでしまうが、まだそこまでいかない時間には、濡れたハンカチのように、しんなりと萎れかかっている、その状態の時間に、いつも見ていたということなのだ。

なんという間抜けであろう。
思えば子供が小学校の頃には、ベランダに朝顔の鉢植えなど置いて、愛でていたものだが、子が育ってしまってから、私はリアルタイムの朝顔に、ほとんど遭遇していなかったのだ。

花の俳句を作るとき、実際にその花を見て感動した方が、やはり作りやすいのだが、朝顔に関しては、子供の頃の朝顔の記憶が、あまりにも強烈に残っているから例外のようだ。

庭とも呼べないほどの小さな庭、そこにあった外の水道で、私は夏休みの朝、顔を洗ったり歯を磨いたりしていた。
庭のはずれに、毎年祖父が細長い木箱に朝顔をいくつか植えていて、まだ眠い目を覚ますような茄子紺や、瑠璃色、牡丹色や淡い桃色などの色とりどりの朝顔を見ながら、私は歯を磨いていたのだ。

それから、ラジオ体操に行って、実に開放的な気分で帰って来る。
そして家に入る前に、必ずもう一度確かめた。

あの朝顔たちの、一途な、色。





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花火・その他


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上り下りの列車下行く花火かな



勿体をつけて開けば大花火



花火繚乱こころひらけるひとはいず



ひとごとの如き思い出遠花火



遠ければ遠きことおもふ花火かな

遠花火というのは、水槽の中の熱帯魚のように、静かである。
むろん、ドーン、という破裂音はしているのだけれど、やはりそれもそれなりに遠いものなので、近場で見る臨場感のある花火とは、大分質の違った娯楽のような気がする。

言うなれば、プールで実際に泳ぐ楽しみと、プールサイドで人々が泳いでいるのを見て、夏の雰囲気を楽しんでいる、そんな違い。

どんなに盛大に重なり合って打ち上げられていても、遠花火は何か寂しい。

花火を見ている自分と少しばかり離れて、平行して存在している場所に、花火のように速やかに、自動的に、過去の出来事がすーっと現れては流れてゆく。

そしてまた、その「思い出」達との間も、微妙に距離感があって、それを喜んでいるのか、そうでもないのか。

何もかも、定かではないのだ。




ストレッチ・マッサージ皆放棄夏の夜



かなぶんを月に返して寝る時間



鬼灯や大事なことを言えぬまま



人間の裏と表と鬼灯と



踏切にひとが並んで夕焼けぬ



空蝉のなかは小さき寺院かな



月見草力入れずに開きけり





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お知らせ

いつもご訪問頂きありがとうございます。 「俳句とエッセイ時々音楽」のブログ名を、「A Cup of俳句」に改名させていただきます。宜しくお願いいたします。

プロフィール

ネコヤナギ

Author:ネコヤナギ
俳句は一行詩。コンパクトな宇宙です。それと日々出会う物・事を気ままに綴り、ジャンルにこだわらない音楽のことも少し。俳句は1994年から書き溜めていたものを2017年1月から遡ってまとめました。
50代後半、双子座・A型・主婦兼グラフィックデザイナー。在宅ワーカーです。
趣味は俳句・デザイン・音楽・手織り。最近ホロスコープの奈落に足を突っ込んでいます。

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